占守島の戦い グッズ

占守島の戦い 8月17日、ソ連軍上陸す―最果ての要衝・占守島攻防記 (新潮文庫)

終戦を迎えた筈なのにソ連軍が上陸してきた千島列島の最も東の端で北から2番目の島でのできごとを、資料に忠実であろうと最大限の注意を払って記述しています。戦争が終結してからの戦いであり、そこで亡くなった方々の無念と非常に特殊なケースであったことが分かります。またこの時点でソ連がアメリカを敵国とみなしていたというソ連軍の兵士の雰囲気からも、ソ連海軍が太平洋に出るために千島列島を抑えておきたくて、終戦後に無理矢理占領したのがわかります。本来は許されるべきでない終戦後の戦闘、シベリア抑留などこうした記録が残り、読み継がれることは大切なことと、著者の努力を称えたいと思います。 8月17日、ソ連軍上陸す―最果ての要衝・占守島攻防記 (新潮文庫) 関連情報

占守島の戦い 北海道を守った占守島の戦い (祥伝社新書332)

満州と南樺太を短期間で占領したソ連軍が、昭和20年8月18日に千島列島最北端の占守島への攻撃を開始し侵攻した。終戦によって武装解除の準備に着手していた日本陸軍第91師団は、当初は米ソどちらと戦っているのかしばらく確証が持てないような状態の中で戸惑いながらも踏ん張り、多大な損害を出しながらも反撃して戦いを優位に進める。そして、停戦交渉の軍使に任じられた長島厚大尉が死線を突破してソ連軍に接触し、この戦いは終結に向かった。本書は、その経緯を解説した本である。なんといっても91歳となっていた長島厚元大尉を直接取材した結果を盛り込んでいる点が特徴である。戦闘の混乱の中、まさに命がけで停戦交渉の先鞭をつけた緊迫した状況が伝わってくる。結局、長島氏は他の島々の守備隊の武装解除にも立会うことになる。また、様々な資料を調査した結果を盛り込み、占守島戦いの推移や戦闘の様子について詳しくまとめられており、両軍の配置や展開を把握しやすいように複数枚の地図も記載されている。戦いが日本軍有利に終結した理由として、著者は以下の点を上げている。1.米軍上陸作戦に備えて日本軍が態勢を整え、戦車をはじめ武器弾薬を備蓄していたこと。一方のソ連軍は事前の上陸演習や地形の調査が不十分だった。2.日本軍の戦闘意欲が高かったこと。3.ソ連軍が、米軍のような上陸前の入念な艦砲射撃や飛行機による爆撃をおこなわなかったこと。4.地の利と気象(特に霧)の利が日本軍側にあったこと。武装解除された将兵たちは、ソ連によってシベリアに抑留され、苦労を強いられた。長島氏が取材に応じた経緯、終戦直後の混乱期に北千島の最果ての地において祖国のために命を賭して戦った人々の価値観についても触れている。特に、当時の生存者の貴重な証言を盛り込んでいるという点において、価値の高い本になっている。 北海道を守った占守島の戦い (祥伝社新書332) 関連情報

占守島の戦い 昭和20年8月20日 日本人を守る最後の戦い―四万人の内蒙古引揚者を脱出させた軍旗なき兵団 (光人社NF文庫)

軍使として交渉に出てそのまま生死不明の行方不明になったりとこれがまだ米英ならそこまでのことはなかったのではないかと感じた。降伏後であるが故の積極攻撃なしの防御戦闘、しかも普通なら無事に祖国日本に帰れたであろう方々の無念の散華。この方たちの遺骨を我が国は収集したのであろうか?文章の中で軍が軍関係者を優先して帰還さしたわけではないと説明されていた。当時の帝国陸軍にも国民を保護することを忘れていたわけではないないのだと読んで感銘をうけた。こういう物語こそ映像化されることを私も望むが、意図せぬ改悪を受けそうなので読んだものがこうした事実を広げていけたらと思えた。 昭和20年8月20日 日本人を守る最後の戦い―四万人の内蒙古引揚者を脱出させた軍旗なき兵団 (光人社NF文庫) 関連情報




Loading...


ここを友達に教える