有吉さんが三谷幸喜さんの作品に対して「こしゃく」な作品と毒を吐いています。知らなかったとはいえ、これはゆゆしき問題ですね
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このドラマを支えるのは、菊川伶が演じる阿国の屈託のない笑顔だろうか?出雲で淋しい思いをしていた阿国が、踊る喜びを知ってから、どんどん表情が明るくなっていく。野心家の三九郎とは、対照的だ!ただ、踊る事の喜びの為、客層も選ばない。上層志向の三九郎とは、本当に対照的なのだ!しかし、その三九郎にも、そこまで来る様々な苦悩があって、、、。一概に善とも悪とも表現できないが、三九郎や菊は、いわば敗者なのだ!客層を選んで、上層志向なのが代えって仇になった。そんな難しい心理描写を堺雅人さんが演じる事によって、より役に深みが出る。阿国は、結構波瀾万丈の人生なのに前向きに生きている。そんな阿国のけなげさ、芯な強さに魅かれて、最後までいっきに見てしまうのかもしれない。鈴木一真の、おとぼけな演技もなかなか良い味が出ています。 出雲の阿国 DVD-BOX 関連情報
第2話から、TVで見ることができました。演技の素晴らしさ、方言の心地よさ、人間の業と、たいへん心に残るドラマでした。発売を心待ちにしておりました。ぜひ購入したいと思います。 華岡青洲の妻 [DVD] 関連情報
星5つを付けたいところですが、Kindle版には相変わらず編集ミスが散見され星4つにしました。有吉作品を読むのは「複合汚染」以来で、当時は、この作品には縁が無いと思い読んでいませんでしたが、昭和50年代後半に、元気な老人が集まる会館があったとは知りませんでした。介護施設が増えるにつれて消滅していったものと思われますが、このような会館の存在の必要性を感じます。主人公の女性の介護には、今も変わらない姿勢が見えます(男は役に立たない)。親の介護に立ち向かう姿は10人10色だと思いますが、この作品には心を打つものがあります。 恍惚の人 (新潮文庫) 関連情報
『銀座カンカン娘』を見た翌日に、この作品が届いた。高峰秀子の役柄のシリアスな転換振りに度肝を抜かれた。高峰が49歳の作品だから、僕の現在と同年代になる。高峰ファンに昨今、急速に転化した自分としてはレンタルでなくて、現物を購入したのは旨い買い物をしたと自得している。庭に咲く白い花に、老父の森繁がうっとりと見入る、この作品の見せ場だと思うが、この一瞬の表情こそ題名の通りの『恍惚』の瞬間なのだ、というアピールを森繁の演技に感じた。そして健常人と自認している人々には体験することの出来ない世界、味わい伺い知ることの出来ない『美』の世界が厳然として存在し、不憫と見做されている認知症の人間にこそ、つかめる事の出来る、そういう『恍惚』に浸れる世界があるということ、認知症という扱いを受ける人々の健常人への密かな、ある種の優越性というものを表現しきったシーンと感じた。老父が亡くなったあとで、老父の孫が、母の高峰に投げかけた、ひとこと「もう少し生かしておいても、よかったね」に、高峰が慄然とした表情をする、この一瞬の表情に、嫁として、実の血の繋がった息子や娘よりも、誠心誠意、老父に深い愛情を体当たりで示してきたが、おもてには表さなかったが心の深奥で抱いていた本心、それは自分自身が一番自分のなかに存在していることを恐れていた感情、人に覗かれたくない本音というものを息子にいとも造作なく見破られていたことへの驚愕、そういう感情の襞を高峰は見事に表現している。高峰の作品の随所で見られる高峰の十八番、一瞬の表情に無限の言葉を込めるという天賦の才、これがこの作品においても、ラストシーンで十全に発揮されていた。そういう高峰ファンとしては舌鼓をことさら強く打たせてくれる作品であった。 恍惚の人 [DVD] 関連情報
数十年ぶりに書棚の奥から出てきた。改めて読み直してみたが、最初に読んだ時の強い感銘は今も色あせない。こんな女がそばにいたら、男は全てを捧げるしかない。ヒロインは自分が「悪女」だという自覚など最期まで持たなかっただろう。騙される男たちは皆、自業自得の面がある。だから、ほとんどの男たちは彼女を責めない。責めるのは女である。薮の中を彷彿させる作品でもある。事実も人間も、みな自分という都合のよい眼鏡を通してしか見ることはできない。 悪女について (新潮文庫 (あ-5-19)) 関連情報