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悲しすぎる 哀しすぎるぞ、ロッパ 古川緑波日記と消えた昭和

インテリの年配夫婦と雑談。「古川緑波」の名前に、奥さんは首をかしげる(ご主人は知っていた)。「エノケンと並び称されたものですが」と私。エノケンならわかるが、思い出せない。この差は、どこで生まれたのか。戦後すぐの人気投票では、ロッパ、川田義男、エノケンの順であったという(p.269)。それが昭和21・22年の2年間で後退、以後小さな回復こそあれ、彼が戦後の寵児となることはなかった。昭和26年に発覚した肺結核、以前からの糖尿病が、彼の健康を蝕む。昭和36年1月16日没。映画、そしてテレビの登場による軽演劇全体の衰亡。興行の大企業化にロッパが気付かず、乗り遅れたのも一因。戦後の荒廃の中、大衆の好みの変化を、彼が(最期まで)理解しなかったことも。−「もはやナンセンス趣味やパロディや諷刺などの市民文化爛熟期のイデエは時代錯誤にほかならない」(p.304)華族に生まれたロッパは終生、世間知らずで、のちの総会屋・上森子鉄を信じ、利用しながらも実はより多く搾取されていた。これが財政逼迫に拍車をかける。また晩年、税金に苦しんだのも、金勘定に疎かったせいだ。収入は昭和23・24年においても決して少なくない (p.357)。人気者の時代には我儘で傲慢、また、凋落してからは僻み癖がつく。脚本に不満をぶつけ、ギャラが安いと怒り、扱いが悪いと怒り、自重することがなかった。悪疾による身体不調も、一連の言動の原因ではあるだろう。しかし彼には余りにも味方が少なかった。本書後半を占める沈鬱な記述は、「哀しすぎる」というよりも、私には半ば「自業自得」という気がする。人気稼業は自分一人の力で成るものではない。今、金にならなくても、未来のために大切な仕事、というのがある。そんなことさえ理解しなかった。どんなに落ちぶれても、彼は最期までお殿様だったのだ。本書はその顛末を語る、あの長大なロッパ日記の貴重な解読書である。 哀しすぎるぞ、ロッパ 古川緑波日記と消えた昭和 関連情報




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