学校裏サイト [DVD]
デスノート、ガンツ、バトル・ロワイアル、リアル鬼ごっこなど
流行りものをまぜてつくったような話ですね。
しかし学校裏サイトというネットいじめのタイトルをつけながら
あまりその辺の本題は語られておらず社会性といえるものが
なかったのはいまいちでした
あと迫力を出すためか鬼ごっこと、不良漫画ばりの喧嘩シーンが
やや多すぎた感じでした。
主役の子はあまりイケメンとは思いませんでしたが、デスノーとの
夜神月を思わせる風貌と台詞演技はありました。
3人目の男とも言える紙屋というキャラはそれなりにキャラ立ちして
いましたがライバルの子は結局なにがしたかったのかいまいち。
ヒロインと大どんでん返しはいまいちピンとこなかったですね。
とはいえ、わりと長い時間ながら最後まで見れました
中盤以降をより丁寧な展開に時間が90分以内ならもっとよかったですね。
どちらにしろジャンプかマガジンの漫画みたいな話です
ケータイ世界の子どもたち (講談社現代新書 1944)
私はキャリアカウンセラーという仕事をしているので、
ケータイ世代の若者たちの特性についてある程度知っているつもりだったが、
小中学生の実態をこの本を通して勉強して、恐怖にすら思えた。
そして大人がわからないケータイメディアの世界について
知らないことがこれまた恐怖だと思う。
子どもが何しているのか、どんどん見えなくなる。
これだけ出会い系サイトなどでの誘拐や殺人が起きても、
「他人事」にしてはいないだろうか?
自分の子供が、どういう危険にさらされているのか、
きちんと認識しているだろうか?
そして危険だけではない。
コミュニケーションがケータイメールの中が中心で
FaceToFaceのコミュニケーションが取れない子供が増えている。
どうやってコミュニケーションしてよいかわからないからだ。
そしてこの本で書かれているのは、
ケータイを持たすな!ということではなく、
ケータイがほしいと子供が言った時に、
親と子できちんと話し合い、使い方やリスクについてなど
ルールを決めたりすることが大事だと伝えている。
共働きが増えた今、さみしいだろうから、すぐ連絡取れるからという理由で
子どもをケータイやメディア任せにしていないだろうか?
改めて考えさせられる1冊でした。
ぜひ子どもを持つ親の方みなさんに読んでもらいたい本です。
ネットいじめ (PHP新書)
「学校裏サイト=ネットいじめの温床」というバッシングに対し、荻上は「学校裏サイト」のほとんどが無害か、むしろ有益なものであり、「ネットいじめ」などは実はそれを使う人間と、彼らが置かれているコミュニティの問題だと論じる。ネットによりいじめが見えにくくなったという「俗説」に対しても、逆に従来から匿名性の高かったいじめが、ネットにより可視化されたのだと言う(p139)。
荻上によれば「学校裏サイト」に対する否定的イメージは、まず親世代のケータイリテラシーが低く、ケータイ世代を教育・指導する方法論を欠く点に由来する。しかしより根本的には社会における教育の位置変化、より大きくはコミュニケーション様式の変容に対し適切な対応がなされていないことが問題、とされる。
著者の処方箋は、まず冷静に現状をよく把握すること。その上でネットの特性を見極め、「学校裏サイト」などを本当に「裏化」させないために有効な対応法を模索すること。フィルタリングなどの処置については、親世代のリテラシーが低い間の「短期的な対症療法」(p240)としては認められるが、性急に法制化すれば、ネットにおけるコミュニケーションのノウハウが社会的に蓄積される機会を失うことになる。「『無菌状態』にするのではなく、『免疫化』『セーフティーネット』『風邪にかかりにくい環境』『事後対応』について考えるのが、『大人の知恵』というものだろう」(p176)。
…というような、非常にバランスよくまとめられた好著だが、あまりにスマートなまとめ振りが気にかからなくもない。
まず、荻上がケータイ悪玉論を否定しようとするあまり、「ケータイがコミュニケーションを変えたという技術決定論は誤り。むしろ社会やコミュニケーションの変容がケータイを生んだのだ」式の発言を繰り返す点(p199、p231他)。この議論は根が深いが、少なくとも私としては、原因と結果の矢印を逆転させただけのこんな単純な話で押し切るのは無理だと思う。
また荻上は、この本の中で何度か「近代市民社会」や「啓蒙主義」の限界に言及する(p230、p232他)。しかし社会がネット利用のノウハウを蓄積することで後続世代への指導力を高めるべきという構想は明らかに啓蒙主義的だし、ネットの特性を把握して制御するという発想には主知主義的な響きがある。また、いじめ対策として学校に警察を導入せよという主張も、子供にも社会的な義務を課すという意味で自己決定論的と呼べるだろう。
この点は、『リアルのゆくえ』での東浩紀の「(ネット上での情報量の増大に対し)リテラシーの発想では対応は不可能だと思います」(p222)、「人びとがネットで好き勝手なことを流す権利は、教育では止められない」(p223)という発言と比べると、より鮮明になるかもしれない。東の場合は、あえて情報の「誤配可能性」を確保する立場に立つわけだが、セキュリティ向上に関心を持つ人びとが東と同じ現状認識に立った場合、出てくる結論がフィルタリングでありゾーニングである可能性は高いし、その有効性は荻上が言うほど低くないだろうと思う。
学校裏サイト――進化するネットいじめ(晋遊舎ブラック新書 6)
本書は、近年学校現場において、様々な問題の引き金につながっている
「学校裏サイト」についてまとめ上げた本である。
内容としては、第1章で学校裏サイトの定義や現状を述べ、第2章では
ネットいじめへの対策、最後の第3章では子どもたちがネットに惹かれ
る理由について、識者の意見や新聞記事等を通して中庸的にまとめられ
ている。
著者の意見は全面的に出ているわけではないが、引用している文献から
推測すると、学校裏サイトにまつわる問題を重要視し、今後の対策を
早急に構築する必要性を説く著者の姿勢は伝わってくる。
学校裏サイトへの書き込みによって、いじめや不登校という問題につ
ながったり、ひどい場合には自殺や殺傷事件の引き金となっているこ
とは、もうすでに事実としてある。
このように大きな問題であるにもかかわらず、現状では、その対応策は
見えてこず、後手後手にまわり、明らかに技術進歩に教育的、道徳的
規制が追いついていない。現状(惨状)を鑑みれば、一人ひとりがこの
「新しい」大きな問題について、もっと真剣に考えるべきであろう。
その意味でも、本書のように「草の根」からこの問題を取り上げ、識者
の意見を蓄積していくことは、非常に意義があることである。
このような書籍が今後も出版され、蓄積されていくことを望む。