先の本や、この本の後半の話は、なんとなくちょっと切ないというか
リアルすぎてもやもやするところがある。
(おじさんも少年も、一般人から見るとちょっとひっかかる)
でも、この本の前半の偏屈なおばあさんの話は文句なしによかった。
パーフェクトな短編漫画だと思う。
これだけでお金を払う価値がある。
続の方が好き。
先のものがあまり好きになれなかった人も手にとって見てほしい一冊。
当り前の事が書いてあるんですが今その当り前のことが出来ず社会性にかけていると評価を低くしている事が多い。改めて感じさせられました。
番外編の奥津(玉山鉄二)を語りべにし、うまく再構成している。川島海荷を始めとする原作外もしくはあまり触れられなかったキャストもストーリー上無理なく絡め、映画としての体裁(集客用の花添え)を保っている。 原作の雰囲気もよく再現してると思う。
しかし非常に残念なのは、主人公であるおじさんの「何にもなくなったけど、おまえが隣にいてヘンにしあわせだぞ」のセリフを削ったこと。
これがこの物語の核となるテーマでしょう。
そして途中でペンションのオーナー(三浦友和)に犬を譲ろうとするくだり、これは絶対にない。相棒がいてこそのドライブで、自分一人きりの死を覚悟で旅をしているのでは、根本から話が変わってしまう。
さらに死に際、原作では穏やかに死を受け入れてるんだけど、これがけっこう取り乱している。「相棒(犬)がいるから、孤独死ではない」というニュアンスを無視している。
これらの原作改変によって、最後の奥津の「愛する相手がいてしあわせだった」のセリフが、単なる生者から死者への押し付けになってしまっている。
家庭崩壊、孤独死の悲惨さ、けなげな忠犬でお涙頂戴に仕立てたいのはわかるが、肝心の「相棒としての犬」をハズしてしまったのは、制作陣が原作をよく理解してなかったのではないかと疑ってしまう。残念。
今まで見せたチャゲの音楽ルーツはマージービート経由のロックであり、そこへ時折声のアンニュイなゆらぎが加わることで妖艶な音楽が鳴っていました。その独特な要素が「飾りじゃないのよ涙は」でジャズとして変換されると、今まで以上にそれらが素晴らしい魅力として活きてくることを発見します。チャゲの妖しい歌声が官能的に揺れて、ジャズのクールさと抜群の相性をみせるのです。あえてシンプルにしたバンド構成も歌声を聴かせるためのよう。同曲のジャズアレンジといえば陽水のセルフカバー作品『Blue Selection』でのテイクは断トツですが、しかしその次に紹介したい、と強く思える名演でした。チャゲにはジャズがよく合うんですね。
そして注目はハモリに回った際の松浦亜弥が、レベル高く彼とランデブしてゆく様です。これはもう非常に必見でして、チャゲ曰く“絡みつくように”、曲想の空気を支配する凄みすら彼女にはあります。もう単純な「歌のうまいあやや」という次元はとうに過ぎ去り、シンガー松浦亜弥がこの名曲の世界観とジャズのブルーの中で、大人の女の艶をいかに魅せるか、狂気のバイオリンとチャゲのウエットボイスの間へいかに官能的に混じるか、全て掌握してこの曲に臨んでいます。この両者の色香の表現は必聴のコラボテイクですよ。
「遠くで汽笛を聞きながら」は改めて素晴らしい曲ですね。またチャゲはこの曲が好きなんだなと思わせ、自分の中に染み込んだものを醸すように演奏します。谷村新司のコーラスにそっと見守られる中、ことばを音に乗せる瞬間まで大切にした奏で方で、尊敬と共に曲と一体となる時間でした。
十代から五十代の現在まで、10年に一度くらい読み返してます。
読む年齢によって、読後感がすごく変わります。
昔は、ホールデンに全面的に共感したりもしたけど、今の年齢で読むと、これだけ感受性のかたまりのようだと生きるのはつらかろうなあ・・・と、ホールデンに対してなんだかせつない気持ちを覚える。そりゃ世の中イヤな奴と頭の悪いボンクラばっかだけど、でも人間ってさ、みんなが君みたいに優秀なわけじゃないんだよホールデン君。そういう感想になっちゃう。
僕もオヤジになったってことか。
作者サリンジャーが、これを書いたあと60年も生きたっていうのがなんだかすごい。
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