ポリオ対策における日米の差を比較している
ウイルス研究は細菌の研究に対して困難が多くサルなどの実験動物の費用も大きい
そのため、黄金期のアメリカの国力によって研究が一気に進んだ面がある
それに対して日本では研究施設がないために研究そのものが等閑視され
結果としてポリオ大流行に打つ手無しになってしまった
その後、当時のNHK記者で後の社会党代表となる上田哲が
NHkの組織を使って患者数の統計を取り、左巻経由の情報でソ連でのワクチンの効果の情報を手に入れ
政府に対してソ連からのワクチンの緊急輸入を実現させるのである
著者曰く、政府要人も医師もこの一人の記者に勝てなかった、と
アメリカの黄金期の医療体制の強化と日本の医療システムや医療教育の対比は
まあ出羽守的な側面はあるにしろ、技術移転論や教育論としても興味深い
残念なことに日本のワクチン政策は未だに迷走を続けているが
それに対しての一つの考え方を与えてくれるところもあるかもしれんな
タイトルがかたいので難しい内容だったらどうしようと買おうか迷いましたが、買って大正解の本でした。
ホメオパシーについてまったく知識がない場合はマヤズムって何?とか時々わからない部分もあるかもしれませんが、予防接種がなぜ任意になったのか、ワクチンはどのようにつくられるのか、ワクチンを打つことでどのような影響があるのかについてホメオパスの立場からわかりやすくお話されています。
もうすでに予防接種を受けさせてしまった場合でも、どのように毒だししていけばよいのかもわかりますし、健康や病気について親がどうとらえていくべきかを考えさせられる本です。
アトピーの話もよくでてくるので、アトピーで悩んでいる方も読んでみるといいかもしれません。
戦後の予防接種行政の中から行政が向き合うジレンマの話を考える 何かをして結果として失敗して被害を出した「作為過誤」と 何かをしなくて被害を防げなかった「不作為過誤」に分けて じゃあ予防接種ってどうなのよと考えていく 予防接種GHQの指導の下、ある種軍政的な側面で始まった そして厚生省が主導権をとる形に移行して どんどん予防接種しようずwww、となってしまくったが やがてはB型肝炎のような接種現場での事故や 回避できたはずの副作用の問題が顕在化してくる で、今度は現場や行政のほうがだんだんと腰が引けていて 強制とは名ばかりのザルな接種率になったり あるいはヒブワクチンみたいに有効なのにやらない、というところに また国が強制してやるというよりも親に「ご理解とご協力」をたのむ感じになった たぶん、こういう構造ってどの分野でもあるんだろうな おいらが思うに、人に恨まれるのも「公」の役割なのだ、と 「社会防衛のためにあなたのお子さんはワクチンの副作用で死にました 国としては社会全体のことを考えて強制したので、恨むなら恨んでください」 「副作用の問題で責任を取りたくないので、接種は自己責任です 接種せずに感染するのも、接種して副作用になるのも親の責任です。シラネ」 どっちが健全で税金を払うにふさわしい「公」なのであろうか
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