『幻化』。作家・梅崎春生の最高傑作にして、戦後文学の極致ともいうべき名作。
多感な10代に読み、全身の細胞がさわさわと振動するような感動を味わった。
あれから何度も読み直しているが、そのたびに胸に迫るものがある。
無駄に人生を重ねた50代の私には、一層この小説の価値がわかるような気がする。
「生と死」を扱っているが、ストレートではなく、
畝っているようで、歪んでいるようで、痺れているようで、どこかが狂っているような
奇妙に美しい風景が描かれる。東京の病院を抜け出した主人公・五郎が
枕崎や坊津を漂泊し、過去の自分やしその分身のような人々と接し、最後に阿蘇山の火口に至る。
美しいが、白日夢のような景色に現実と非現実が交錯する。
物語は小さな揺ればかりなのに、ひとつひとつが印象的に刻まれていく。
「死の淵」を廻る最後の場面には、張り詰めた緊張感があり、曳きこまれる。
題名の「幻化」は、隠逸詩人・陶淵明の「人生は幻化に似て、終には当に空無に帰すべし」から
引用したという。本作品名を梅崎は「げんか」と読ませるが、
本来の仏教用語では「げんげ」と発音するのが正しいらしい。
紛れもなく「戦争」「戦後」をテーマにした本作が、
平成22年の今日にも耐えうる豊潤なディテールを含み、
現代人の内面を先取りした“あいまいな狂気”を扱っていることに驚く。
若い人に読んでもらいたい名短編小説だ。
収録7編のうち、最も長い表題作を含めて3編が、小説では珍しいと思えるですます調の文章で書かれている。「〜だなあと思えるのです。」なんて書き方が内容にぴったりなとぼけた味わいで、楽しめる。
表題作だとか『蜆』だとか、書き方によっては悲惨な感じにもできると思うのだが、怨念を込めたどろどろしたところはない。表題作など、二人の同居人たちが意地になっていやがらせをしあったりするのが、なんともユーモラスなのだ。この2作は様々な出来事が起こる構築性のある小説だが、一方『庭の眺め』『凡人凡語』などは私小説的な平凡な日常風景という感じである。
普通なら不愉快にしか思えないような登場人物もいるのだが、この語り口で愉快にからかわれていて、味わい深さもありながら気楽に読んでいける。
戦争は人間を極限に追い込む、戦地に赴いた経験がなくてもそれぐらいは分かる。しかし頭で分かっていることと、身体で経験したことはまったく違う。この作品を読んでいると改めてそう感じる。 彼の戦記物の主人公は、戦闘のまっただ中にいるわけではない。しかし死は常に隣り合わせに感じられる環境だ。そんな緊張と諦観に支配された日常で、周囲に頽廃していく戦友たちを見ながら、正気を失わずに踏みとどまっている。彼がそうできる理由はどこにあるのだろうかと考えると、それは主人公(作者)が持っている尊厳とか矜持なのではないかと思える。生き延びたいという気持ちとは別に、誰に指摘されるからでもなく、大切にすべきものがある。かれはそう訴えているように思えた。それは舞台が戦後になった作品でも変わることはなかった。
残念ながら60〜70年代のドラマの大半が消去されていると言われているNHK。朝の連続テレビ小説や大河ドラマもその例外ではない中、奇跡的に残っていて、深夜の『NHKアーカイブス』枠で再放送されたドラマが、ついにDVD化されることとなった。この作品も、本放送は1971年で、2000年の11月にアーカイブス枠で再放送された。
主演は1965年の大河ドラマ『太閤記』で伝説の織田信長を演じ、1969年に同じく大河『天と地と』で武田信玄を演じた高橋幸治。『太閤記』と『天と地と』はクライマックスの「本能寺」と「川中島」の回だけ現存していて、すでに商品化されているが、現存する二本とも、本来脇役である高橋幸治が最も目立っている。この二作の間に朝ドラ『おはなはん』にも出演、これもキネコ素材であるが現存しているとのこと。
今や演じた役とともに伝説の存在となってしまった俳優であるが、これだけ貴重な映像がNHKに残っている奇跡に喜ぶと同時に、当時の彼の人気ぶりや、いかにNHKが彼の存在感を買っていたかがわかる。年に一本はNHKに出ている俳優だったのではないだろうか。
クールで冷徹なまなざしは、現代劇に出てもいささか変わることがなく、脇を占める俳優陣も堅実な演技を披露している。
高橋幸治作品としては、聖徳太子を演じた『斑鳩の白い道の上にある聖徳太子論』やドキュメンタリードラマ『日本の戦後〜酒田紀行』やNHK銀河テレビ小説『崖』『わらの女』などの評判も非常に高い。NHKにどれほど作品が残されているか不明だが、こういった作品をどんどん世に送り出し、彼の俳優としての軌跡を残してほしいと思う。
高橋幸治出演作として『黄金の日日』『関ヶ原』と共にお奨めしたい作品である。
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