リュックサックを背負って逃げてはいけない.という警告にショックを受けました.最近は,災害の備えの物資を個々でしっかり準備して,携行品をもつことが常識のようになっていますから.その携行品がさらに災害を大きくするなんて思いもよりませんでした.災害の渦中にいるときに,持って逃げられるのは,自分の命しかないのかなと思いました.津村さんの対談は,とてもほほえましくて心が和みました.大変読み応えがある増刊号です.
ひとつの死に接して、
本当は立ち止まってしまいたいのだけど、人は進んでいかないといけない。
自分がこの立場になったとき、このように自分がふるまえるのだろうか?
そう考えながら読んでいきました。
ゆっくりと、こうしたことを考えながら読んでいくといいと思います。
自分も普段ならこれぐらいの量の本なら1、2日で読み終われるのですが、
今回はもっと時間をかけてこの感覚を味わっていました。
不覚にも、最後数ページで、泣いてしまいました。
壮絶に生きた作家の最期は、やはり壮絶で、作品同様、筋が通っていると感じた。
死と向き合った本人の葛藤は、それほど描かれていないが、本人の心の中はどうだったのか?
そのあたりが、第三者の目で、あえて簡略に描かれている分かえって、強く印象に残る作品である。
著者の自伝的エッセイであり、夫でありかつ同業の小説家だった吉村昭との二人三脚の人生航路をつづった本。
福井県で織物取引をしていた北原家の二女として生まれ(三人姉妹)、生来虚弱であったが、書くことと小説を読むことが好きだった幼年時代。母、父、祖母を次々失い、人の死を間近に感じ続けた。時代は急速に軍国主義の暗黒時代へ。戦時中の女学校生活、勤労動員で働いていた軍需工場、小林理学研究所(国分寺)での勤務、基地化した疎開先での経験(入間川)、自立をめざして通ったドレメ女学院と洋裁店の経営、そして向学の志消えず女子学習院への入学と学生としての文学活動。ここまで人生の前半とするなら、後半は学習院での吉村昭との文学的邂逅から死別まで。
結婚後、小説だけを書いて生きることが難しいなか、東北、北海道への行商生活。転居が続く苦しい生活のなかで小説を書き続け、道をもとめてひたむきに生きるふたりは徐々にその世界で認められるようになり、その後それぞれ押しも押されもせぬ小説家となり、人生を全うする。そして、不意の夫との別れ。
本書は人生「二人旅」の結晶である。エッセイなので多くのエピソードが挿入されていて興味深い。また、著者の小説は「智恵子飛ぶ」しか読んでいないが、「玩具」「茜色の戦記」「瑠璃色の石」「石の蝶」など読みたいと思う。著者は作品を書く際、歴史的事実、背景を踏まえながらフィクションを盛り込むを自身の作法について次ように述べている。「吉村はこれらの作品を歴史小説とは言うまいが、私の場合歴史上の人物の実名を使ってフィクションを書く歴史小説とは違う。あくまでも歴史の調査には徹しながら、その時代を背景に生きた無名の人々を書いている」と(p.195)。
生なまし愛情表現や生活感がじ〜んときます。
与謝野晶子の「みだれ髪」に通づるものがあります。ただ、与謝野晶子は晩年、この様な表現をあまり好ましくなく思って居たといいます。
当時では、あの歌は鮮烈であったことは間違いないですが濃密な内容でもあるわけです。若気の至りを気恥ずかしく思っていたのではないかと思います。
私のような元祖草食系男子には、アラ還の彼女にとって、もうチョッと形而上のものごとがあってもいいのではと、その読む時の気分によって食傷を感じることがあります。
草食系男子とっては俵万智程度の表現の方が「サラダ」なので食べやすいのかな?
ただ、与謝野晶子にとって「みだれ髪」こそが彼女の彼女たるものだったわけですから、河野裕子のこれこそ彼女のレーゾンデートルなのでしょう。
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