梶井基次郎の作品は人間のくたびれた様な心情の捉え方がうまく感動してしまいます。
作品的な感想は詩を読んでいる様な感じです。ちょうどさらさらと水が流れる様な……
少し違和感があるようですが、やっぱり人間の心の奥底からくる様な発想、思考、儚さを感じさせる展開は現在でも立派に通用する名作だと思います。
ぐっと感動させるとか、大きく人の感情を揺り動かすということはありませんが、読んだあとさわやかな気分になります。
作者の文豪へあこがれながら肺病によって若く夭折してしまった事実を背景に読んでいくと感動も一入です。
近代文学の中でも割合最近の方なので、純文学をあまり読んだことが無いと言う人にも親しみやすいかと、思います。
いまだに丸善の画集コーナーには時折「檸檬爆弾」が仕掛けられている。 それは、半分冗談なのかもしれない。 でも、梶井の焦燥、不安は、いまだに僕らの焦燥、不安でもある。
青春の峠を越えたあたりで、多くの若者はこの檸檬的な焦燥感にかられる。 普遍的でいてとても個人的、言いようの無い不安感。
みすぼらしくて美しいものに惹かれるこの気持ち。 「不吉な塊」のように迫りくる焦燥感。 本当によくぞ書いたと思う。
しかも、肺病やら、借金やらにまみれているにもかかわらず、文章が全然湿っぽく暗くなっていない。 おそらくそれは、ひとえに読者のビジュアルに訴えかけてくる、彼の卓越した文章センスにあるのかもしれない。 カンナの花や花火の束、八百屋の店先が彼の叙景で鮮やかに目に浮かぶ。 その周りの空気感までをも感じることが出来る。
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少し、大げさな物言いになるけど、梶井基次郎が「檸檬」を書いていなかったら、 ちょっと生きていけなかったかもしれない若者は少なからずいるんじゃないかな?と思う。
自分もそんな若者だった頃がある大人として、「檸檬」をお薦めする。
日本の文学の中でも もっとも「神経」に訴えてくる作者であると思っている。晩年の芥川龍之介も 同様の趣であったが 梶井基次郎の場合には それに 独自の「美学」が付け加わり 物狂おしく絢爛たる世界が繰り広げられる。 こういう作者は やはり長編は書けないのだろうなと思ってしまう。資質的には 短編小説というよりは 長編散文詩という位置付けの方が正しいのではないかと思う。 それにしても 時として文学の才能は その人を磨耗させると思わざるを得ない。梶井基次郎も いわば夭折したわけだが その死因が結核であったのはたまたまであり 本質的には 彼の文学が彼を食い殺したのではないかと思わせる。それほど 切れ味のある作品であり その刃が書いている本人に向いているかのような 妖気に満ちている。
「檸檬」「冬の日」「冬の蠅」「城のある町」 なにもない日常への挑戦と、美意識。生きていることの意味を問い続ける文豪の、生命力あふれる著作に、私は感動し続けます。どうして今まで、身近に潜んでいる美に目を向けなかったのか。それが、身近にあることを、痛切に感じさせる豊かな文藻と、確かな観点が光ります。 全集の後ろの方にある、詩集には檸檬の関係作品があります。そちらもあわせて読むと、一気に盛り上がってきます。意味があるかないか、ではなく。意味を探すこと。それが、一つの目安になっていると思います。 日本文学の最高の文体が拝めます。一行一行が、この世界を走り去った、夭逝の作家の命で溢れています。
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