青春歌年鑑 1967
後半(ディスク2)はGS一色で、最後にフォークルが入って次の音楽シーンへの萌芽が見られますが、なんのなんのディスク1だって聴きどころ一杯ですよ。おミズの大復活曲であり、川内康範渾身の一曲「君こそわが命」や後に舘ひろしがカバーして物議を醸した(?)「いとしのマックス」。
そしてハマクラさんのメルヘンの世界「花と小父さん」。伊東きよ子さんのあたたかい歌声に心和みます。
でも、一番驚いたのはザ・ダイナマイツの「トンネル天国」が収録されていること。トンネルぬけて、、、か。ちょっとひねてますよ、この一枚。
2人だけが知っている世界の秘密
デーヴィッド・アイクによれば、この世にガチガチの「固体」などというものは存在しない、という。
この世の中のあらゆる物質を構成する、構造上の最小単位である「原子」は、固体ではないのである。
この事はWikipediaにも載っているようだが…。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90
原子は、プロトンとニューロンからなる原子核と、その周りを1個の電子が回っているのだが、原子が東京ドームの大きさだとすると、電子は野球のボール1個にも満たない大きさらしい。
原子は硬い球体というよりも、むしろ真空の中に存在する点状の原子核と電子である。
つまり、「原子」=「電子が振動する場」あるいは「空間」であって、それが重なり合っているに過ぎない。
また、原子間の境目も、定義する事が難しいようである。
生物は、電子振動の場から五感によって電気信号を受け、脳がそれを解読して幻の世界を作り上げる。
高性能のテレビ受像機に例えて考えてみればいい。
ある周波数にチャンネルを合わせれば映像が映し出されるが、別の周波数も同時に存在しており、そのチャンネルに合わせれば別の映像が流される。
生→死とは、別の周波数の世界への移行であり、霊能力者たちが「チャネラー」と呼ばれるのは、別次元の世界へアクセスする事ができるからである。
我々が見ているこの世界は幻であり、幻を見ている「私」=「無限の認識」だけが真実である。
過去も未来もない、あるのは無限の「今」だけである。
あるいは、こう考える事もできる(これは仏教の考え方だが…)。
池にインクをたらすと、溶けて見えなくなる。これが「死」である。
かといってインクが無くなったわけではない。
スポイトか何かでインクの成分だけを集めたとする。これが「生」である。
全ては一つであって、一つではないのである。
ここに脳神経解剖学者ジル・ボルト・テイラーの講演を紹介する。
http://www.youtube.com/watch?v=AZZ1vXerxYQ
http://www.youtube.com/watch?v=vLBPr02qzZI&feature=related
彼女は、自分が脳について研究する身でありながら、自らが脳卒中にかかってしまった。
そして、左脳の能力が完全にマヒしていくのを、克明に記憶していた。
その間感じていた事は、エネルギー全体であり、至福の状態(涅槃)だったと言う。
「無限の認識」である。
…あまり長く書くのも何なので、レプティリアン(爬虫類的異星人)の事については、他の方のレビューを参考にしていただきたい。
重要なのは、今まで受けた教育や思い込み、先入観や固定観念を取り払い、無限の認識に到達する事である。
そのためには、五感で感じる世界が全てであると思わずに、直感で「今」に集中する事である。
本来のあなたは、「神」と呼んでもおかしくない存在なのである。
そして、あなたの隣人だけでなくレプティリアンにさえも、憎悪や敵意の感情、ストレスを持たずに、平和と愛と調和をもって接する事である。
このレビューを書いた自分は、レプティリアンによって消される運命なのだろうか。
しかしそれも構わない。
何故なら、「永遠の生命」などというものは、既に持っているのだから。
※個人的には、自分が信仰している仏教のとある宗派の教えの方が、上なんですけどね〜。
○○学会を辞めるきっかけになった本なので、☆5つにさせていただきました。
アイクは他の本で、釈尊(お釈迦様)は存在しなかったと主張しているそうなので、そちらも勉強してみたいと思います。
関係ないですけど、自分は精神障害者(2級)です。
二人で始める世界征服〈3〉 (MF文庫J)
正直2巻読み終わった時には「うーん、一巻で構想が尽きたのかな?」と心配になりましたが
1巻で使った設定「デーモンテール」の崩壊とその際に流出したとされる技術力
更には一巻で成敗した阿久津の息子を敵役として出してくる事で何とか立て直したという印象
ただ、肝心の世界征服は序盤の「町内征服」だけで終わってしまい、あとは相変わらずトンチキな
思想で世界を征服しようとする敵対組織を妨害することで終わってしまった。二巻で出した龍造寺は
完全に空気キャラ、せいぜいネタキャラ程度の扱いになってしまった事を考えると一巻を書き終えた時に
この三巻ぐらいの構想を練っておいて欲しかった(後書きだとかなりこの構想にたどり着くのに時間が掛かったようですが)
あとはひたすら千紗といちゃいちゃですな。コスプレパーティーやったりプールサイドでの水着回やったりで
ありすは一方的に押されまくってずっと千紗のターンでした。ありすは最後の方で新兵器持ってきたりはしたけど
割と高めに設定されている筈の性能の方はそれほど発揮できずじまい(敵組織の正体暴くのに間接的に役に立ったが)
ただ、敵が思想面ではトンチキとはいえ主人公より遥かに強い部分を見せることで多少シリーズとしては引き締まったか
全五巻のシリーズだからこのまま一気にクライマックスに突入するのかな?