某所での会合の為、先に同著者の出世作『精神としての身体』(講談社学術文庫)を先に読んだのだが、こちらの方が数段読みやすかった。それもその筈、本書は著者があちこちのメディアに単発や連載で書いたコラム、講演、シンポジウムでの発表をまとめたもので、その発表媒体も東京銀行協会、読売新聞、『創造の世界』、『現代詩手帖』、『地下演劇』、『教育音楽』など、まさに多様(雑多?)な分野にまたがっている。
にもかかわらず著者はあとがきで「本書の第1章「<身>の風景」は、エッセイのような表題がついているが、じっさいは体系的に組み立てられている。そのつもりで読んでほしい。」と書いているし、各所の著者の紹介でも本書は代表作の一つとして挙げられている。
市川浩という著者に関心があるなら、まず本書から当たるのが良いのではなかろうか。しかし、前著より読みやすくはあるものの、彼の哲学自体は(大森荘蔵などに比べて)底の浅いもののように思われた。中村雄二郎や丸山圭三郎らと同類のフランス系現代思想の域を出ないのでは?ただ市川の場合<身(み)>という大和言葉を使っての考察があるので、オリジナリティがあるとみなされるのであろう。
たとえば、本書を英訳して海外に紹介しても、その価値が認められることはまず無理なのではないだろうか?国語の大学入試問題や高校「現代文」の教科書には使われているらしい。
これは、“恋”が始まるまでのプロセスを繊細に優しく描いた物語。そして、タイトルの意図的な行間から感じられるように“音”が癒しとコミュニケーションの重要な役割を果たしている映画。ある意味あり得ない偶然に次ぐ偶然の設定なのだが、“恋”をする事の磁力に引き寄せられたように、映画的リアリティを以て、ラストは必然的な帰結として感動させられる。
ラヴ・ストーリーであるにも拘わらず、そしてアパートでの薄い壁1枚のみで繋がっているにも拘わらず、主人公ふたりは一向に“恋”を始めようとはしない。恋愛はインスピレーションと言うものの、人と人とが直接的に向かい合う事への懐疑ともどかしさ。恋愛に奥手と言うよりも、まずは自分たちの現状と将来について思い悩む、これは、我々と等身大の感覚を持ち合わせた若者たちの物語。全編すれ違いの連続なのだが、たよやかにゆっくりと流れる時間そのままの主人公ふたりの心の移り変わりが、ラストに向けて、静かに深々と語られる。
麻生久美子が何度となくフランス語を複唱する、男女間の感情の機微、心の動きを描いている辺りフランス映画的でもあるが、この過剰なまでのナイーヴ感は、やっぱり熊澤尚人作品であると思う。
こんなに優しすぎていいのかとも思うが、現代ではやはりこんな恋愛が相応しいのかも知れない。
この思想は冷徹と言われる。しかし、韓非が国を良くしたいと考えたからこそ冷徹に現実を見つめたのであり、その冷徹な現実主義こそが儒家との違いで彼が儒家を嫌悪した理由であろう。 現実問題として清廉潔白な人格と並外れた知性を併せ持つ人物などほとんど居ない。ならばその人物個人に依存した政治はその人物の退任と共に弱体化する。韓非の時代であれば隣国に併合されるという事態は現実的な問題であり政治の安定はまさに死活問題であったと言えよう。それに対する韓非の対応策が法と術による統治であり、その理論は組織論の官僚制と共通する点が多く現代においても十分通用する理論である。 だからこそ完訳でないことが惜しい。
舞台は残念ながら鑑賞できませんでしたが LaLaTVで放送されたドラマでハマりました! こんなイケメンパン屋さんがあったら 迷わず常連なのに!っていう イケメン好き女子の妄想心くすぐりまくりです。 あの体操も最高ですねー キャストのバランスが良く、作品に惚れたので 購入を決めた1品ですね。
トラック1は、アニメ「ソルティ・レイ」のEDテーマ。
トラック2は、本人出演のアニメロミックスのTVCMソング。
よって、両A面といった感じで、どちらもなかなか良いバラードです。アニメのEDで気になったのは勿論ですが、アニメロのTVCMも気になっていたので、一つのCDに収録されてちょっと得した気分です。
アニメロのオーディションで歌手デビューしている彼女ですが、スクールランブルの「城戸円」役もやっていた声優なので、今後の活躍が気になるところです。
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