小坂俊史の4コマではないエッセイ漫画。
わびしく寂れた場所へと案内する漫画なのだが、駄菓子やとかまんだらけとかは
あまりわびさびを感じない。
かえって楽しくにぎやかな感じがするんだけど。
それはもう作者がその場所を楽しんでいるからにほかならないだろう。
富山県にある謎の(ぜんぜん謎じゃないんだけど、その場所だけ案内されたら
謎だろう)おおざわの石仏の森 なんかは作者の面白がりにのって、
思わずそこに観光に行きたくなる。その石仏を作った社長さんに会いたくなる。
山口のムーバレーにも行きたくなる。
炭坑跡とムー大陸の関わりをぜひとも自分で発見して理屈づけたくなるじゃないかこのやろー。
シリアスにしみじみ終わっても最後のコマのつぶやきでちゃんと
落としてくれるところはさすが4コマ王子ならでは。
中央線沿線に住む八人の少女が主人公。 はやりの街の擬人化などではない。その街を愛し、その街の特徴にどっぷりと染まり、そんな自分や住人をシニカルに、愛情をもって見つめるさまが、全編モノローグで描かれている。
これはおそらく4コマ漫画における新しい展開だと思う。
たとえばいしいひさいちのように、吉田戦車のように、今後新しく出てくる4コマ作家に影響を与え、亜流をつくり、しかし、いしいひさいちや吉田戦車と同じように、オリジナルにはとうてい手は届かないのだろう。
「モノクローム線」にでてくる少女や女性たちの視線の先にはおもしろおかしな現象はなく、彼らは自分たちが滑稽な存在であり、おかしなことをしているさまを冷静に、ああるいは憐憫を持って、またあるいは笑い飛ばしながら見つめている。 あくまでも自身のおかしさ、変さを自覚しないいしいひさいちのキャラクターや、その変さを周りも受け入れる変な世界を構成する吉田戦車ともまた違う。
どこか私小説でも読んでいる気になる静かな画面は、唇をちょっと横に引いくというシニカルな笑いが似合う。
話題を呼んだ諷刺・格闘麻雀漫画の公式アンソロジー。
原作者の大和田先生も寄稿しており、全体的にファンは一読して損の無い出来になっている。
とは言え、オリジナルの持つ力や熱さを再現するには残念ながら至っていない。
勿論、あの水準は到達し難いものだからこそ、「ムダヅモ」は「ムダヅモ」たり得るのだろうが…
参加者の顔触れも兎に角多彩で、業界内での原作の人気の高さをそれ自体が証明しているといえる。
反面、そのために各寄稿者の紙幅が相当制限されてしまっているように思えた。
それが、先にも挙げた一種の全体的な不完全燃焼感に繋がっているのではなかろうか。
日常ほのぼのや、心温まるほっこり4コマが大好きですが、 この不真面目な「せんせいになれません」も大好きです。 大笑いするようなギャグではありませんが、この作品が与えてくれるのは【癒し】や【小さな幸せ】ではなく【カタルシス】【不真面目へのあこがれ】なのです。
第1巻を読んだ当時、私はまだ学生でした。 その時は単純に不真面目な河田池田たちの行動を単純に笑っていました。
社会人の方なら皆わかると思いますが、「やってられるか!」と思えるようなことも時にはありますよね。 実際は我慢して稼がなきゃ生活できないのでこらえますが、作中で河田たちは「出勤する」ということ以外は我慢せず奔放で不真面目に振る舞います。 小学校教諭という、上司、生徒、保護者などしがらみだらけの立場での河田たちの不真面目さはカタルシスを与えてくれます。 GTOのような破天荒さではなく、不真面目に仕事をやっている姿勢がとても気持ちいいのです。もちろん実際にマネはできません。 私の不真面目願望を作中で代行してくれているのがこの作品です。 真面目な方にこそ読んでもらいたい、がんばりすぎてしまう人にこそ読んでもらいたい作品です。 きっと、不真面目な彼らに対するあこがれが感じられると思います。
あとがきに、担当編集が若い人(連載開始時には小学生だった)に変わったとあり、私も学生の時からから読んでいて「せんせいになれません」の楽しみ方が変わったなぁ、と年月を感じてしまいました。
ゆったりした感じの漫画ですね
著者が遠野での生活を通して得られたことなどが 書かれているようです。
実情も伺えてとても良い感じです。
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