カシオプログラム関数電卓 FX-5800P-N
この電卓は、他のレビューにもあるようになんと言ってもプログラム電卓機能が最もすばらしい。
2011年5月現在、プログラム無しのcasioの関数電卓とはハイエンドモデルと比べても倍近い値段がするが、この機能に少しでも価値を感じる人は違いなく買いである。一体型のケースもすばらしい。計算速度も迅速である。
ただし、通常の関数電卓だけ使うなら、他の機種も選択肢に入れたほうがいい。
キーアサインを見れば分かるが、AnsキーやENGキー、STOキーなどが裏に入っている。
これらを頻繁に使う場合、多少ストレスを感じるだろう。
Excel VBA アクションゲーム作成入門 Excel 2007/2003/2002 対応
なぜエクセルで?とう疑問をのぞけばエクセルやVBの実用書
ということになるかと思います。
が、この本につまっているのは実務的というよりは
極めて本気度の高い遊び心のようなものです。
実際に他の言語でコツコツゲームをつくるよりは大幅に敷居が低いという点は挙げられますが、
それでもゲームの業界を目指す人向けの本という印象はありません。
実際にワークシートで動くゲームを遊んだときの感動や
親切な解説、エクセルさえあれば自分で弄れるソフトが付属されていることなど
さわって楽しむ事に特化している印象です。
人に見せても相当なインパクトが期待できますし
出どころの不明な衝動というか、
アイディアがこれだけまとまった形になっているのを見るのは
スカッとする、胸のすく想いがします。
そういう本に出会うのは昨今、非常に稀な経験です。
おやこでいっしょに! はじめての分数パズル
子供に分数の勉強をさせていたのですが、「○分の1」と言われても想像だけでは限界がありますよね。
手にとって比べることによって大きさの違いが理解しやすくなりました。
分母が異なる分数も、組み合わせによって1になるということもさいころゲームで学べます。
とても良い教材ですが、なくしそうなことと、乱暴にすると割れそうなイメージがあるので耐久性は3つにしました。
ゲームロボット10
昔、子供の頃ゲームロボット9で遊んだ記憶があります。
このゲームロボット10と共に、近所のオモチャ屋でゲームロボット21も購入しました。
21はゲーム数が21種類入っていますが、本体が大きいので子供が手に持ちながら遊ぶには向いていません。
10はゲーム数が10種類と少なくなっていますが、十分遊べる機種です。子供でも持てるコンパクトな本体であり、出かける際に持ち歩いても邪魔になりません。
DSやPSPのようなゲームと違い、アナログですが目に優しく、反射神経や記憶力、また音感にも良いゲームだと思います。
構造と力―記号論を超えて
浅田彰が26歳の時に書いた、フランス現代思想、ポスト構造主義の入門書である。現代社会をめぐる著者の思想・批評の趣旨に賛成というわけではないけど、30年ぐらい前に一世を風靡したフランス現代思想の入門書として読む分にはとても分かりやすい本だ。そもそも、デリダだのラカンだのといった思想家の言ってることは難しすぎて良く分からんわけですが、その難解な哲学がわかり易く、それなりに一貫したストーリーのもとに整理されていて、非常に読みやすい(チャート式に単純化して理解するのがはたして良いのかという問題はあるけど)。
で、解説書としては理解しやすいのだが、本書は一応単なる解説書ではなくて、著者なりのメッセージが込められている。このメッセージが結局のところあまりにも軽やか過ぎて、ちょっとついて行けんというのが最大の問題だ(笑)
「人間と社会の学」(人文社会科学)はいかにあるべきか?というのが本書の大きなテーマである。
著者はまず、レヴィ=ストロースを中心とする構造主義が、スタティックな分析に留まるなどの理論的限界を持っていることを指摘し、クリステヴァ、バタイユ、ラカンらの二元論的でダイナミックな分析へと進んでいく。そして彼らより前の時代に西洋哲学・キリスト教思想の伝統をまるごとひっくり返したニーチェに触発されつつ、フランス現代思想を率いるデリダ、ドゥルーズ、ガダリらの方向へと超え出ていく。
『構造と力――記号論を超えて』というタイトルの意味は、「記号の秩序の構造分析では人間社会を理解するには不十分であり、現実の社会を動かしている『カオスを矯める力』と『それに反発する力』の葛藤の運動を把握するような理論が必要」ということである。
そのようにして「近代」という時代を捉えてみれば、そこは貨幣を「媒介」又は「整流器」として皆が一定方向に向かって競争を繰り広げる、資本主義の「強いられた遊戯」「哀れな道化たち」の世界であると著者は言う。われわれはこの世界から抜け出さねばならない。しかし、いかにして?
このあたりから著者の口ぶりは急に文学的になって、「外へ出よ。さらに外へ出よ。悦ばしく多数多様な舞踏の技術を身につけ、真の意味で遊戯すること。差異を差異として笑いとともに肯定し、享受すること。目指すべきはサラサラと砂が舞いおどる広大な砂漠だ!!」といった趣旨の、スローガンめいたメッセージがあふれだす。
流行語大賞に選ばれた「スキゾ」と「パラノ」は、『逃走論』という別の著作に出てくるもので、スキゾフレニー(分裂病)とパラノイア(偏執病)の略だ。著者の意図は当然、「パラノ」から「スキゾ」へということ。つまり日本人よ、分裂病者みたいな精神をもって砂漠の上に踊り狂う、リゾーム(根茎)状に果てしなく発散する、そんなイメージでこの現実の社会から逃走し続けなさい!ということだ。
……ぼくは遠慮しときますが(汗)
なお、まえがきにある、大学1年生へのメッセージには心底同感です。
「(略)こうして、ぼくたちは大きなサイクルを描いて、いま大学の門の前に立つあなたのところへ戻ってきた。門をくぐったあなたは、教養課程に入ることになる。ここで、いまあなたのいるところこそ絶好の地点なのだということを強調しておきたい。そこを、専門課程に備える予備学習の場としてではなく、視野を多様化するための拠点として活用すること。急いで狭苦しい枠組を作り、その中に閉じ込もってチマチマと空白を埋めていくという、一見勤勉そのものの『学習』態度、その実、これ以上の怠惰はない。あくまでも広い視野を求め、枠組を外へ外へと開いていくこと。無責任に理想論を述べたてているわけではない。これは、否応なしにある程度の専門分化に耐えねばならぬ地点に立って、いささかの羨望をこめて振り返ったとき、どうしても言っておかなければならないことなのである。」