まずは、内容はどうあれ、大阪そして日本の明日の為にこのような議論がなされることは大変良いことではないか。
大阪は日本の問題点を集めた縮図のような場所であり、大阪で起こる問題は、その後、東京やその他地方でも起こりかねない。
そういう意味でも大阪人以外の方も今後の大阪のあり方を注視すべきである。
本書で特に読むべき場所とは6章7章だ。時間がなくても、ここだけでも読みたいところである。
個人的には本書にある戦略は納得出来るものだ。次は戦術に落とし込み、そして実行せねばならないが、その為には民意を得る必要有る。
リーダーシップのある政治家がグイグイ政策を進めるのも、この重たい大阪には必要かもしれないが、真の成功と持続した発展の為には
多くの方が議論に参加しその内容を深め、理解と共感を広めることが望ましい。
この本は歴史を如何に紐解けば正しい理解ができるか、という歴史指南書であるが、一方で歴史・文化・社会情勢などの背景の中、歴史上の人物が何を考え、どのような意思決定をし、何を行ったかを、豊富な実例を用いて判りやすく説明している、マネージャ向け教科書でもある。 登場する歴史上の人物は、多くの場合その時代のリーダーたちであるが、リーダーシップがその時代や文化の中、どのように位置付けられたかを知るカギが、この本には秘められている。リーダーシップとは何かというハウツー本が言及するリーダーの内的要素にはあまり触れず、外的要因でリーダーの判断が如何に左右され、行動に影響するかを考えさせてくれる。優れたリーダーは、歴史からも学ぶことができる、そんな読み方を可能にする、貴重な読み物といえる。
農本主義から重商主義への転換期という経済小説の要素が入った忠臣蔵です。そのため、仇討ち派の描写と並行して、仇討ちに参加せず、塩田開発に賭ける、石野七郎次(松平健)一派の描写もあります。
主役の大石内蔵助(緒方拳)は、狂言回しと言ってもよく、浪士の中では、不破数右衛門(小林薫)と片岡源五右衛門(郷ひろみ)の動きが大きな役割を果たし(また二人ともカッコイイ特に小林薫)、堀部安兵衛が完全に霞んでいます。
石野達は、塩田開発を続けるため武士である事を捨てざるを得なくなりますが、仇討ち成功後、不忠者として赤穂を追われます。大石と別れの際、大石から「多分、誰も間違っていない。」と立場や考えの違いを理解するセリフがあっただけにやりきれません。
バカ殿丸出しの徳川綱吉(竹脇無我)、天然ボケな町子(吉田日出子)、そんな二人の間で仕事をこなす柳沢吉保(岡本富士太)の描写や、ちょっとベタでくどかったけど、石野と竹島素良(多岐川裕美)、片岡と十文字屋おゆう(古手川祐子)、不破と竹屋美波(樋口可南子)ラブロマンスも彩りをそえてくれました。
難を言わせて貰うと、オープニング音楽は素晴らしいのに、画面は露光過多でクレジットが読み難い事です。
これからの大阪、これからの日本のことを考えたい人には、
ぜひ読んでもらいたい。
大局的な歴史認識と、時代の転換点たる今、
なぜ大阪都構想なのかということが極めて明快に記されている。
橋下さんの府庁での奮闘を描いた第3〜4章も必読。
人のこころに残る歴史的出来事には、 美的な背景とストーリーが宿っている。
ただし、その度量衡には、善悪という判定が必ずしも伴わない。 しかし、人を呼ぶイベントは、善から始まらなければならない。
・・・というのが私の持論です。
堺屋太一さんは、官僚でありながら、イベント・プロデューサー、 そして作家という顔持つ多才の人。
70年代には、日本万国博覧会、80年代には沖縄海洋博覧会、 90年代には地方博、2000年代には上海万国博覧会に携わり、 すべてを成功裏に収めた、現場と実践の人。
その視点から、人を呼ぶイベントだけを論じるのではなく、 なぜいま日本は魅力的なイベントを開催できないのか、 その病理が日本経済を低迷させているのだという、 大きな論点に発展していきます。
世界は、規格大量生産型の近代工業社会という物財を崇める時代から、 満足度を追及する知価革命に移行し、 そこでは「聖なる一回性」を重んじるイベントが力を発揮します。
終身雇用、年功序列、官僚型の社会と、 20世紀の成功体験から抜け出せない日本の閉塞感を、 どう打破するかのヒントにもなるかもしれません。
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