辞書を引かなくなりました。 語弊のある言い方をすると、ウィキペディアを初めとする、web辞典のせいです。 人のせいにしているだけですが、、、
世の中はいそがしく、知らないことよりというとバカにされ、昨日覚えた半可な知識で今日プレゼンしなければいけません。 ウィキの即応性は、時代の要請といえるかもしれません。
さらに、ウィキのレボリューションは、辞書にはのらなず消えていくはず言葉や、たしかめることが容易でないこと、を載せていることもあげられます。 たとえば、”スイーツ(笑)”で検索をかけたところ、見事にヒット。 しかも、”現在、削除の方針に従って、この項目の一部の版または全体を削除することが審議されています”だったり、 ”この項目は著作権侵害が指摘され、現在審議中です”だったりで、この文章を書くためにあるようなページでした。 マジなんですよね。あのブリタニカでも、ウィキの編集方針の一部を取り入れることにしたそうです。
手になじんだ紙の辞書(われながらすさまじい表現です。紙の!)は、かけがいのないものです。 ただこれから、ウィキは、もっと当たり前になっていきます。 この本は、ウィキのその骨組みを知りたいと思ったとき、最適の案内となるでしょう。
本当に超美人牧山純子さんの実際正式3枚目の作品ですが、この作品がもっとも明るいポップ音楽です。まさにフュージョンサウンド、バイオリンは、クラッシックのイメージが強く暗いと言う感じですがフュージョンサウンドになると、こんなにも気持ち良いすがすがしい気分爽快になります。こうもサウンドが違うとこんなにフレッシュになるんだと新発見致しました。本作品快作!これからもこの路線で、作品を期待します。彼女の素晴らしさが出てきてくれるでしょう!もっともっと牧山純子さんが売れてBIGになって欲しいと願っています。ホームページ内の時々更新されるBlogもマメにチェックしています。次の作品が大変楽しみです。末永く応援します!
セツナブルースターのアルバムは一通り持っていたので、期待を込めてこのミニアルバムを購入、早速聴いてみた。 するとどうだろう。一曲目「かさぶた」から、これぞセツナと言わんばかりの、叙情感とスピード感溢れる音が、胸にするりと滑り込んできた。 ゆったりとしたテンポから始まり、クライマックスに向けて盛り上がる二曲目「雀と心根」。現代の若者の等身大の姿で歌われる三曲目「はるか」。かつて寂しい現実から空想へ逃げていた歌詞世界が、現在地点をありのままに歌うようになった四曲目「拝啓、あの日の君へ」。 そして、それらを締めくくるのが、彼らが大人に一歩進んだのだと確かに感じさせる五曲目「その約束に」。 アルバム全体を通して伝わる世界観が統一されていて、非常によく作りこまれている事が分かる。芯のあるロック/バラードを聴きたい人に、ぜひお勧めしたい一枚だ。
皆さんとはちょっと違う意見ですが、私の感性に偏った個人的な気持ちを書かせて下さい。 私はずーっと長い間、たくさんの時間をZARDの音楽と一緒に過ごしてきました。 坂井泉水さんが亡くなって、その事を理解することができないまま時間が過ぎて、そして今回のアルバムの発売・・・。 正直、あの時自分がどの曲をリクエストしたかすら今となっては思い出せません。 それでも、選曲の発表があった時とても嬉しかったです。 私がずっと支えられてきたZARDの音楽の中でも特に大好きな音楽がいっぱいだったから。
だけど、CDを聞いてみて複雑で・・・残念な思いがありました。 それは、楽曲に対するアレンジ。(ライブバージョンには意見はないです) 純粋に泉水さんの作ってきた、リリースしてきた音楽そのものをもう一度聞きたかったです。 『価値観』が人の数だけあるのはわかる。 それでもZARD名義でリリースするのであれば、泉水さんがこれまでこだわってこだわってリリースしてきた形を貫いて欲しかったです。
悲しいけれど、ご本人が亡くなってしまった以上、もう泉水さん自身はダメ出しすることができないのだから。
「1年間使わなかったものは捨てる」式の片づけ術だと、この1年は使わなかったけど、次の1年は使うかも…と未練が残ってしまい、結局捨てられずじまいですが、著者の言う「ときめくものだけ残す」式だと、なるほど、ふんぎりがつきます。
とりあえず自分の服や食器、台所用品、DVDやCD、1階にある雑貨を片づけてみました。
服だけで45Lのゴミ袋7袋、食器と台所用品を50キロ、処分することができました。
もったいないとは思いませんでした。むしろ、死蔵品として何十年も放置してきたことに対して、服や物に対して申し訳なかったと思いました。
捨ててみて気づいたことですが、ここにこんな物がしまってあったとは、と驚くこと多数。既にあるのに忘れて、同じものを2個買っているものがいくつかありました。
今では、どこに何があるかちゃんとわかります(整理した物についてだけですが)。
自分が把握できるだけの量の物を持つ。それがこんなに心地いいものだとは。
私がこういう境地に陥ったのは、震災がきっかけです。
エネルギーを湯水のように無駄遣いし、大量の物に囲まれて生きる暮らしがほとほとイヤになったのです。
自分が本当に好きなものだけに囲まれて、シンプルに生きたい。そう思うようになりました。
この本は震災前に書かれたものですが、見事に自分の考えとマッチしました。
ただ、「場所別でなくジャンル別で片づける。服なら服をすべて床に並べて一品ずつ手に取って判断する」という鉄則は、言うは易し行うは難しで、引っ越し並みの覚悟と時間が必要なため、私の場合それは断念して場所別に区切った上でジャンル別に片づけました。
それでも上記の通り、効果があったような気がします。リバウンドしなければですが。
著者の少女趣味な言葉遣いに対して、反発するレビューもありますが、私はこの著者の芯にあるものは日本人特有のアニミズムなのだと思いました。
「物みなすべてに魂宿る」というあれです。
だから物や家に語りかけたり、それらに感謝し、それらが語りかけてくれる言葉に耳を澄まそうとする姿勢でいられるのでしょう。
限られた品を大切に使い、シンプルに心豊かに生きていた昔の日本人らしさに通じるライフスタイルで、私たちが忘れていた生き方を思い起こさせてくれる気がしました。
【追記】
ベストセラーになり、テレビでも取り上げられたことで、風当たりも強くなってきましたね。
手ひどく酷評されている方の中には、この本の神髄に気づいていない方がおられるのではと思います。
これはモノに対して自分がどう向き合うべきかを気づかせてくれる本なのです。
自分のライフスタイルに合わない部分は、合うように読みかえればいいだけのことだと思います。
それを、自分のライフスタイルに合わないからダメな本だと切り捨てるのは早計ではないでしょうか。
著者の自分語りの部分は、年若く無名な著者がどういう人物なのか、信頼するに足りる本なのか、判断するためには必要でしょう。
リバウンドしないというのは、著者に片づけを指南してもらってリバウンドしなかった顧客のことであって、懲りて二度と来なかった顧客のことではありません。
それすらわからないのであれば、この本を語る資格はないと思います。
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