10代の頃読んで、やっぱ自分がドロップアウトするきっかけになった一冊。当時それこそ本なんて読まなかった僕がこの本は何度も何度も読みました。そして友人に貸して無くしました。
佐藤めいさん自体は綺麗でしたが 監督が駄目でした インタビューの後はほとんど無表情、ひんぱんにカメラ目線を外して、おそらく監督の指示をチラ見? BGMが無いけど前半は台詞もほとんど無い やっと喋ったら棒読み 他の作品を見てないので佐藤さんの演技に問題があるのか、演出が酷いのかよくわからないです 着エロにモザイクがかかるとかなりガッカリしますね
「三島『金閣寺』→村上『コインロッカー・ベイビーズ』→そしてこの小説」という帯のコピーであったので、思わず手にとってしまった。 かなりおもしろかったが、でもそれは、このコピーとはかなり違う面でだと思う。自分なりに柳文学を考えるに、それはほとんど壊滅的に壊れてしまった 現実に対し、ほんとうは迸る感情を放出させたいのに、それをうまく放出させることのできないナレーターたる主人公の目線を通して語られるリアルな物語だと思っている。そうして淡々と進む「壊れ」の物語に、読者は奇妙なカタルシスを感じてしまう。それが柳文学の真骨頂じゃないだろうか。 少年、兄、姉、父、少女たちらの人物造詣は、あきらかにそんな柳美里的キャラクターだし、たとえば、兄のピアノをBG!Mに、少女と交わす少年の不器用なやりとりのシークエンスなどこそ柳文学的光景だと思う。すごく演劇的でおもしろい。 なんですが、いわゆる現実の荒れる少年の心理物語風、あるいは時代の象徴的なエキセントリック少年の青春物語風にこの本を語ってしまうと、逆に全然リアリティないんじゃないか? 人を殺したいと思うことと、現実に人を殺してしまうことの間には、やっぱり雲泥の差があるはず。淡々と物語を見ることしかできない柳文学の主人公には、人を殺したいと思うことはあっても、あるいは暴力を振るうことはあっても、殺すことは絶対できないと思うし、衝動的に働いた殺人であればあるほど、動揺は隠せないんじゃないのでしょうか。どれほど傍目に平然と見えたとしても。 だから、個人的には、少年の父殺しの場面も、どうしても不自然としか見えなかったりするんですけど...。それとも、これは、現代文学的レトリックのもとに意図的にこう描かれていたりするの?これが、柳文学的「殺人」なんでしょうか?よくわかりません。
聞いたところによると、立木さんのために作ったそうです。エサまきと揶揄されますが 安くてもさすが単焦点だけに撮れる画像の出来は歪みがなくいいです。 ボケ味もいいほうです。ただ、STMでもこの焦点距離のせいか、AFするときはUSMと差がなく音がします。 それより、マニュアルフォーカスで狙ってもピント合わせはスムーズ。しいて言えばピントリングはもう少し 固くてもいい気がしました。Kissで64mmですが、ちょっと引き気味で、 5Dならちょっと寄り気味にフットワークすると原点画角50mmが楽しめます。 久しぶりにお散歩ウキウキレンズ、飲み会、披露宴などでも評判上々。 6iや60Dでバリアングルにして狙うと、撮られる側もカメラを向けられる感じが薄れるのか 自然な表情で撮れますね。EF35 mm Lにしようと思っていただけに、お財布にもやさしくて満足です。
吉里爽が BOSS こと矢沢永吉さんに出会ったのは、このアルバム。 そして、吉里爽の人生を変えた7枚のうちの最初の1枚がこれである。 当時、高校生だった自分は、LPレコードではなく、カセットテープで 購入した。 とにかく、ジャケットデザインが秀逸なので、後にLPで再購入。 アーティフィシャルな歌謡曲とは違うゴツゴツとした手触り、 本物だけが放ちうる輝きにしびれた覚えがある。 ブルージーな♪ゴールドラッシュ、ポップな♪昨日を忘れて パワフルなロックナンバー♪鎖を引きちぎれ アダルトポップな佳曲である♪さめた肌 惨然とした輝きを失わないスタンダードの♪時間よ止まれ など、どれもこれもがピカピカの名曲である。 そして、ラストナンバーは、E. YAZAWA 史上、もっともヘヴィ- かつ真摯なラヴソングである♪長い旅。 捨て曲なしの濃厚かつ芳醇なハ-ヴェストが味わえる、 渡米前、第1期・YAZAWA の金字塔的なアルバム。 このアルバムとの、BOSS との出会いが、吉里爽の人生を 大きく変えることになる。 ジャケット写真の中で BOSS の口から放たれた星の放射線が ロックンロールという名の魔法となって、新宿の街角で居場所もなく 途方に暮れていた少年の視界に光を灯したのだ。
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