第2話から、TVで見ることができました。演技の素晴らしさ、方言の心地よさ、人間の業と、たいへん心に残るドラマでした。発売を心待ちにしておりました。ぜひ購入したいと思います。
不思議なタイトルだなあ…と昔からずっと気になっていたのです。坂東玉三郎主演の舞台があると知り、まずは舞台を観ました。なるほどね、こういう意味だったのか、こんなお話だったのね、と得心しました。もっとシリアスなのかと思っていたら、思いのほか笑いの要素が多くて、悲喜劇といえばいいのでしょうか、「おもろうてやがて哀しき」お芝居でした。
そのあとで戯曲を読むと、さすがに内容がストン、ストン、と入ってきます。あ、この場面はこういうことが言いたかったのか、と観劇だけではスルーしていたようなことにも気づきます。活字の魅力というか効能ですね。主人公・お園さんの口調がもうすっかり玉三郎で定着して頭の中で再現されてしまうのは、つい最近観たので仕方ありませんが、もともと持ち役にしていた杉村春子もきっと素晴らしかったろうなあ、と想像します。
併録の「華岡青洲の妻」も、どんな話か初めて知りました。小説はもちろん、映画やドラマにもなっている有名な話なのに、今までタイトルだけ知っていて、中身は知らなかったのです。こちらは笑えるような話ではありませんし、むしろ悲劇が次々に起こる重い内容なのに、なぜか暗い印象をあまり受けないのです。それは出てくる女性たちが自ら進んでその立場に殉じていくようなところがあるからかもしれません。読みごたえのある2本の戯曲でした。
テレビ放映を見逃したので、思い切って購入しました。以下は個人的な感想ですが、私の中で菊川怜の阿国は少々違和感があります。その大部分は彼女の声質にあるかも知れませんが、セリフよりも唄の方が聞きいいのが意外でした。 そう悪くなくストーリーに入って行けます。ただ原作を先に読んだため、私の中で作った三九郎とはイメージが大幅に違い、そこだけは最後まで拭い切れませんでした。阿国と鼓打ちの三九郎を中心に、つきまとう許婚、現れた恋敵2人との確執などの充分な見応えに加え、現在の歌舞伎の元となった阿国歌舞伎を体感するにはもって来いです。格式のある作品というよりは今時のドラマ的な薄っぺら感は少しありますが、そこはよしとする方にお薦めです。
『銀座カンカン娘』を見た翌日に、この作品が届いた。高峰秀子の役柄のシリアスな転換振りに度肝を抜かれた。高峰が49歳の作品だから、僕の現在と同年代になる。高峰ファンに昨今、急速に転化した自分としてはレンタルでなくて、現物を購入したのは旨い買い物をしたと自得している。庭に咲く白い花に、老父の森繁がうっとりと見入る、この作品の見せ場だと思うが、この一瞬の表情こそ題名の通りの『恍惚』の瞬間なのだ、というアピールを森繁の演技に感じた。そして健常人と自認している人々には体験することの出来ない世界、味わい伺い知ることの出来ない『美』の世界が厳然として存在し、不憫と見做されている認知症の人間にこそ、つかめる事の出来る、そういう『恍惚』に浸れる世界があるということ、認知症という扱いを受ける人々の健常人への密かな、ある種の優越性というものを表現しきったシーンと感じた。老父が亡くなったあとで、老父の孫が、母の高峰に投げかけた、ひとこと「もう少し生かしておいても、よかったね」に、高峰が慄然とした表情をする、この一瞬の表情に、嫁として、実の血の繋がった息子や娘よりも、誠心誠意、老父に深い愛情を体当たりで示してきたが、おもてには表さなかったが心の深奥で抱いていた本心、それは自分自身が一番自分のなかに存在していることを恐れていた感情、人に覗かれたくない本音というものを息子にいとも造作なく見破られていたことへの驚愕、そういう感情の襞を高峰は見事に表現している。高峰の作品の随所で見られる高峰の十八番、一瞬の表情に無限の言葉を込めるという天賦の才、これがこの作品においても、ラストシーンで十全に発揮されていた。そういう高峰ファンとしては舌鼓をことさら強く打たせてくれる作品であった。
小泉元首相の息子が素敵でした。だから綺麗になった米倉と結ばれればいいなぁ〜と思って観ていました。それにしてもダンナ役の石黒賢のなんと優柔不断な事か…腹が立つほど…最後もよくわからなく終わりましたね。
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