1979年当時、マイク・オールドフィールドの「インカンテーション」、とイーノの「ミュージック・フォー・フィルムズ」と並んでよく聴いていた。ライヒの作品は、数多いが、その中でも、これは究極作だろう。私自身が現代音楽に興味を持ったきっかけになった作品でもある。別にドラマチックな曲展開があるわけでも、印象的なメロディがあるわけでもないが、自然な反復とレスポンス、ハーモニーによって、ミニマル音楽のダイナミズムを存分に堪能できる。
表題作は読んで字のごとく、未曽有の大惨事となった9・11の同時多発テロ10周年を節目に制作されたもので、なるほどテロ発生当時の恐怖や混乱を惹起させる出来栄えになっています。
しかしこの事は、裏を返せばこの作品が、リスナーの想定内の内容である事実もまた意味していて、テーマの深刻さは重々承知しているものの、純粋に音だけに耳を傾ければ、残念ながらライヒの作品群の中では“中の下”辺りの評価が妥当である、と言わざるを得ません。 そもそも、あまり批判されないのが不思議なのですが、肉声にメロディーラインをあてがう、『ディファレント・トレイン』以降お馴染みとなった手法も、端的に言ってあまりセンスがあるとは思えませんし。 したがって『Wtc9/11』単独では、せいぜい星は3つくらいしか付けられないのですが…
しかしカップリングに収録された『Mallet Quartet』。この曲の素晴らしさと言ったら…! 『9/11』の後に収録されているだけに、純器楽曲の有するピュアな美しさがより際立って、聴く者に産毛が逆立つような感動を与えてくれます。
同じ種である人間が、一方では人を殺め、他方では限りなく美しい音楽を作り出すと言う不思議。 もしテロと、その後の報復戦争へと至る、いつの時代にも変わらない憎悪と恐怖の連鎖に対して、音楽が何かしらの抵抗を成し得るとしたら、それはこれらの惨劇を人々の記憶に留める曲を書くことではなく、圧倒的な音の美の世界―まるでその前では憎しみや怒りの感情が馬鹿らしく思えてしまう程の―を産み出し続けることをおいて他に無いのではないか…そんな感慨すら抱いてしまいました。
まぁ、ちょっと大袈裟ですが(汗)…いずれにせよ、ひとりでも多くの人にこの『Mallet Quartet』を聴いて欲しいと思います。文句なしにお薦め!
ライヒは70年代に入り、自らのドイツ系ユダヤ人としてのアイデンティティを
強く意識し出し、81年にはヘブライ語を用いた「Tehillim」を発表するが、
「DifferentTrains」は、ホロコーストをテーマにした88年の楽曲。
第一楽章は、対戦前、ライヒが幼少時によく乗っていた米国の列車。
第二楽章は、大戦中、強制収容所に向かう欧州の列車。
第二楽章は、大戦後、再び米国の列車。
「もし、自分が米国ではなく欧州に住んでいたとしたら、自分の乗っていた列車は
全く違う行き先だったのではないか?」(つまり、自分も強制収容所に向かって
いたのではないか)との想いから、この曲が着想された。
曲中に使われている声は、ホロコーストの生き残りの方の証言含め、全て実在の人物から。
「家畜列車」「ポーランド語」「ポーランド語」
「髪を剃られ」「入墨」
「炎」「煙があがる」・・・
といった、言葉の断片がミニマルのリズムとシンクロする。
文章になりきらない、断片であるが故に、理性を超えた次元で、ホロコーストの悲劇が
我々の心に刺さってくる。
ライヒのミニマル、特に初期のミニマルは、抽象的な構造がもたらす、ある種の高揚感・
陶酔感も大きな魅力だが、そうしたトランス的な感覚が好きな人も、この曲は、ぜひ
歌詞を受け止めながら聴いて欲しい。ミニマリズムとドキュメンタリーが高次のレベルで
結晶したリリカルな傑作。1989年グラミー賞最優秀現代音楽作品賞受賞。
なお、この手法は、最近発表された、9・11を題材とした「WTC 9/11」にも活かされている。
そのCDついての別の方のレビューで、全歌詞を和訳していたので、私も参考までに
Different Trainsの歌詞を和訳してみました。
【第一楽章 第二次世界大戦前〜アメリカ】
From Chicago to New York. (シカゴ発NY行き)
One of the fastest trains. (最も早い列車の一つ)
The crack train from New York. (NY発の一等列車)
From New York to Los Angeles. (NY発LA行き)
Different trains every time. (次々と違う列車が行きかう)
From Chicago to New York. (シカゴ発NY行き)
In 1939. (1939年)
1940. (1940年)
1941. (1941年)
1941 I guess it must have been. (確か1941年だったと思う)
【第二楽章 第二次世界大戦中〜ヨーロッパ】
1940. (1940年)
On my birthday (私の誕生日に)
The Germans walked-walked into Holland (ドイツがオランダにやって来た)
Germans invaded Hungary (ドイツがハンガリーに侵攻した)
I was in 2nd grade (私は2年生だった)
I had a teacher (学校の先生)
A very tall man, his head was completely plastered smooth (彼は背が高く、髪はぴったり押さえつけられていた)
He said, "Black Crows-Black Crows invaded our country many years ago" (先生が言った。「黒いカラスが我々の国に侵入した」)
And he pointed right at me (そして、彼は私を指差し)
No more school (「学校は終わりです」)
You must go away (「すぐに逃げなさい」)
And she said, "Quick, go!" (「早く!」)
And he said, "Don't breathe" (「息をひそめて!」)
Into the cattle wagons (家畜列車の中)
And for four days and four nights (4日と4晩)
And then we went through these strange sounding names (そして聞いたことのない場所へ)
Polish-Polish names (ポーランド語、ポーランド語だった)
Lots of cattle wagons there (他にも多くの家畜列車があった)
They were loaded with people (多くの人が詰め込まれていた)
They shaved us (彼らは、私達の毛を剃った)
They tattooed a number on our arm (私達の腕に入墨で番号を入れた)
Flames going up in the sky (炎が空に向かって上がっている)
It was smoking (煙を上げながら)
【第三楽章】
And the war was over (そして、戦争は終わった)
Are you sure? (本当に?)
The war is over (戦争は終わった)
Going to America (アメリカへ)
To Los Angeles (LAへ)
To New York (NYへ)
From New York to Los Angeles (NY発LA行き)
One of the fastest trains (最も早い列車の一つ)
But today they're all gone (でも、今はみんないなくなった)
There was one girl who had a beautiful voice (綺麗な声の女の子がいた)
And they loved to listen to the singing, The Germans (ドイツ人は彼女の歌を聴きたがった)
And when she stopped singing they said, "More more," (そして彼女が歌をやめると、彼らは「もっと歌って」と言った)
and they applauded (そして彼らは拍手をしたのだった)
私が日本語字幕翻訳を依頼されて手がけた作品ですが、日本語版制作会社のせいで何故か部分的に字幕が勝手に改悪されており、私の名前のクレジットもありません(こんな内容でクレジットされても困りますが)。日本語字幕には音楽家が決して使わない言葉が使われており、かつ音楽的表現が、音楽を知らない者によって非音楽的日常語にすり替えられています。日本語字幕業界の劣悪な実情が現れている作品です。原盤の内容は5つ星ですが、日本語盤は星1つなので、平均して星3つに相当します。英語がわかる方は、ぜひ輸入盤でお楽しみください。
「ミニマリズムってどんなん?」以前から知りたかったので、お手ごろ価格のこの商品を購入しました。最初は一定のフレーズの繰り返しに思えましたが、静かに波立つ抑揚がカッコイイ!正月に従弟に聴かせたら、かなり突っ込まれましたけど。
|