幾多の忠臣蔵作品で、後日談物は初めてだったのでひかれました。鑑賞し終わった後に原作を読んでみたくなるほど、とても良かったです!主演の上川さん始め、豪華なキャストとその演技力も素晴らしく、美しい言葉遣い、心に留めておきたい名台詞の数々を見つけることが出来ました。「忠義に死するは容易なこと、生くることこそむつかしい・・・」「忠義に死んだものは誉れに高く、残されたものはぶざまな生きようをしいられる」この時代のそれぞれにおかれている立場の考え方の相違、想いなどが描かれており、忠臣蔵ファンならずとも見ていただきたいですね。いろんな意味で日本人の心底に流れる思想を揺り起こしてくれるような静かで力強い作品でした。
高杉晋作のその短い生涯は、革命児、風雲児という言葉がぴったりで、劇的としか言いようのない生涯でした。池宮氏は、物語性よりも伝記的に、この英雄の生のエネルギーの燃焼を、上下巻、一気に書き上げた感があります。
この話の冒頭、晋作は、上海にいます。上海に洋行していた時代の晋作から書き始めたところに池宮氏らしさがあるように思えます。
どのような人間も、自分の育った環境にあっては、その影響を少なからず生き方、考え方に受けているはずです。晋作の場合、それは、300年近く続く江戸封建制がつくった武家社会の秩序であったでしょう。しかし、天才とそうでない者を峻別するものは、その環境によって育まれた価値観を、1つのある経験で弊履のように捨てることができるか否かでしょう。
その経験とは、高杉晋作の場合、上海への洋行で見た、列強に蚕食されている中国の状況であったのでしょう。「幕政や藩政に日本を任せていては、中国のようになるのは、時間の問題」と、江戸期の階級制度では優位の位置にあった上士出身のこの男は、悟るのですから、天才だったのでしょう。
吉田松陰が認めた双璧である2人の中でも、高杉晋作が、久坂玄瑞と違う点は、ここにあるような気がします。本作品は、高杉晋作を天才と規定し、その天才のゆえんをこのような書き出しや「動けば来電の如し」と評された彼の行動力で解き明かそうとしている快作と言っていいでしょう。
ただ、惜しむらくは、「虚構を排する」をコンセプトに書いているのですが、晋作の逸話を「これは、なかった。」とか「これは、史実ではない。」や「たとえ、100人の坂本龍馬がいても、1人の高杉晋作なくば、維新はあり得なかった。」と断言しているわりには、その論拠が少ない感じがしました。もう少し、精査したり、詳しく説明したりしてほしかったです。
主人公である平清盛もさることながら、その周りを固め、あるいは通り過ぎ去っていく人物達の描写が実に丹念です。 清盛の父忠盛の後妻である池の禅尼が若年期の清盛の思慮足りない行動を、清盛を傷つけぬよう、穏やかにしかし毅然とたしなめるエピソードをもって、(それが事実であったかどうかは別として)なぜ後年に清盛が義母の頼朝助命嘆願を無下にできなかったかを語ります。ただの義理の親子関係がなせるわざではなく、その女性が然るべき人物だったからです。 そのほか、武力面で清盛最大最強の敵であった源義朝の人物像、清盛が嫡子重盛と義朝の長子義平とを比べて、その器量の違いに嘆息を漏らす親心、一族郎党に仲良く囲まれていながらも唯の一人も頼みにできない清盛の孤独感など、読みどころ満載の第一巻です。
家康の生涯を描いた作品は極めて少ないが、本作品は簡潔にまとめてある。やはり山岡荘八作品には及ばない。確かに家康の人生は遁げに終始していた。それが長い時間をかけた天下取りに結びついているといえる。家康のつぶやきが現代風の口調になっているところが多少気にかかるがやむを得ない。歴史小説268作品目の感想。2010/07/10
日本史好きの私は、高校生の時にこの本に出会った。この本に出会ったからこそ精神的に学ぶべき点が多々あったように思う。島津義弘は、戦国期において類い希なる才知とカリスマ性を持っていた人物である。織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らの陰に隠れていながら、鹿児島70万石の強大な力を誇示し、戦国にその威信を轟かせたのである。また、泗川の戦い、関ヶ原の戦いでの勇猛果敢振りは戦国随一だろう。それらの武名とともに、義弘の人間味も深いものがある。戦場の臨場感とともに、義弘やその側近たちの人間味も感じさせる本書は、一生大切にしたい、そんな本だ。
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