1974年に起きたドライバー2人が亡くなる未曾有の大事故。この事故の状況について、著者が出場ドライバーの証言を集め、貴重な資料を持つ人々を訪ね歩くルポルタージュです。専門性の高い分野に関する本ですが、独特の専門用語などについて分かりやすい解説も行われており、自動車レースのマニアではなくても読みやすいでしょう。
ドライバー2人の命が失われるという悲惨な事故現場の生々しい状況や、仲間の死に遭遇し生き残ったドライバーたちの悲痛な証言や、事故の原因は何だったのか資料を積み上げていく過程など、読み物としてとても優れていると思います。
この事故に関しては、事故発生直後からレース専門誌はもちろん一般紙でも報道され、関連する本も書かれています(黒井尚志さん著「レーサーの死」など)。ですので事故の直接の原因が何であるのかについては、もう結論が出ていると言っていいでしょう。あるマシンがあるマシンに意図的としか思えない動きで数回も接触し、後続のマシンが巻き込まれた。これが結論です。本書もそれを追認する形になっていると言っていいでしょう。
ただし、その先が問題です。著者は「○○○○(本書では実名)ひとりがスケープゴートにされた」、「いったいだれが、モータースポーツの現場で起きた事故で、ひとりの人間を追放できるというのだろうか」などと書いていますが、その言葉の意味が明らかにされていません。罪を犯した者は罰を受ける。これは人間社会の鉄則ではないのでしょうか?
なぜ彼(事故の原因を起こした人物)がそういう異常な行動をとったのか?ここも明確にされていません。
著者は「僕は二〇歳の僕にむかってこの本を書いていた」などと述べています。しかし著者はレースジャーナリストとして長年にわたり活躍し、自らレースに出場した経験も持ち、レースについて何冊かの著書も持つ人物です。レース界の闇について知らないはずがないと推察されます。著者は全体を俯瞰した立場から、関係者の心理や事故の遠因について立体的に語ることが可能なのではないでしょうか?
「二〇歳の僕にむかって」本を書きたかったら、自費出版で本を出し、無償で配布すべきです。ある事実についてルポルタージュし、大出版社から書籍を出したら、それ自体がひとつの「事実」や「歴史」になってしまうのですから。「二〇歳の自分にむかってこの本を書いていた」というのは、お金を払って本を買った読者や、貴重な証言や資料を提供した人々にとって、あまりにも失礼な言い訳です。
段階を追って関係者の証言などを集めるルポルタージュという形を取っているのは、レース界に存在する本当の闇の部分を描かないための方便、とも受け取れてしまいます。
レース界の闇の部分について書かなければ、この本は完結しないでしょう。これは黒井尚志さん著「レーサーの死」も同様です。いやしくもジャーナリストを名乗るならば、そこを避けてほしくないと思います。
F1好きなら誰もが知る名車の勢揃い。セナのマシンや歴代の有名なマシンがこれでもかと掲載されている。中でも「ブラックビューティー」と評されたロータス79やF1史上唯一の6輪車ティレルP34など、今でも十分鑑賞?に値する名車揃いで、見ているだけで十分楽しめる・・・のだが、あまりに詰め込みすぎの感があり、も少し車種を絞って、写真や文章をもっと充実してくれたらよかったのに・・・とも思う。
|