作家丹羽文雄は「嫌がらせの年齢」の中で次のように述べている。「老後を子供に頼るなど、因襲的な、古くさい考え方である。時代が変わった。ひとりひとりが、自分の老後の準備をしておくべきである」皮肉にも、このことばのように、娘の本田桂子にアルツハイマー後の世話をしてもらっている。本書はその介護の実態を人様に知られたくないはずなのに、公表している。
「この病気は、単なる病気であり、本人の罪でも恥でもない。人間として当然受けねばならない症状の一つに過ぎない」と瀬戸内寂聴に介護体験を書くことを勧められて本書は書かれたようである。本人はそれに従って書き著し、自分を癒した。同じ悩みを抱えている人が、明るい気持ちで前向きに父母の介護に当たっているのを知って、親に尽くす献身と、告白に対して多くの人々は、共感を覚えたようである。
取り組む姿勢に感心させられるのは、家族の理解と協力のお陰という。人に預けきりにするのではなく、自分の全てを犠牲にするのではなく、プロの方にもお願いしながら、ときどきパワーを充電して、気長い介護を続けることである。「明るいことだけがとりえ」と単純に言ってのけられるのが「介護の要諦」であるように思われる。
「老人を抱えてよくそんなにニコニコしていられるわね」と言われたいものである。
【いつも明るく前向きに】
志賀直哉の「暗夜行路」に書かれ、志賀自身感服する程の、情景描写、人間心理の洞察が鋭く徹底しているのです。それだけに読み進めることが骨折り。しかし、損はしないでしょう。ところで、私は読んだことがございません。
作家丹羽文雄は「嫌がらせの年齢」の中で次のように述べている。「老後を子供に頼るなど、因襲的な、古くさい考え方である。時代が変わった。ひとりひとりが、自分の老後の準備をしておくべきである」皮肉にも、このことばのように、娘の本田桂子にアルツハイマー後の世話をしてもらっている。本書はその介護の実態を人様に知られたくないはずなのに、公表している。
「この病気は、単なる病気であり、本人の罪でも恥でもない。人間として当然受けねばならない症状の一つに過ぎない」と瀬戸内寂聴に介護体験を書くことを勧められて本書は書かれたようである。本人はそれに従って書き著し、自分を癒した。同じ悩みを抱えている人が、明るい気持ちで前向きに父母の介護に当たっているのを知って、親に尽くす献身と、告白に対して多くの人々は、共感を覚えたようである。
取り組む姿勢に感心させられるのは、家族の理解と協力のお陰という。人に預けきりにするのではなく、自分の全てを犠牲にするのではなく、プロの方にもお願いしながら、ときどきパワーを充電して、気長い介護を続けることである。「明るいことだけがとりえ」と単純に言ってのけられるのが「介護の要諦」であるように思われる。
「老人を抱えてよくそんなにニコニコしていられるわね」と言われたいものである。
【いつも明るく前向きに】
海戦の従軍記といえば、ミッドウェー海戦の牧島貞一氏が有名だが、本書は2005年に百歳で没した文化勲章受章者の作家、丹羽文雄氏の記者時代の貴重な従軍戦記である。初出は昭和17年11月の『中央公論』であり、軍機密にあたる部分を検閲で伏せての発表となった背景を持つ。
本文中で著者も語る通り、どのような規模や局面であろうとも、戦争の記録というものは実体験には敵わない。砲声、吶喊、硝煙の臭い、そして傷者の血肉と呻き声…。海戦の中で著者は、20糎主砲の斉射の轟音に驚倒し、凄まじい光芒に目をうばわれ、爆風に叩きつけられ、破片創を蒙り…。戦闘後に士官達から激賞された程の貴重な体験をした。
それでも伝わらない。著者はあくまでも軍人ではなく素人の目で海戦を活写する姿勢に徹しているが、いくら言葉を尽くしても、戦場の実態を文章で伝えることは無理なのである。
全体の文章にも、どうしても戦友愛や滅私の忠勤を殊更強調するきらいがある。またラバウル帰港直前に潜水艦に撃沈された重巡「加古」にも触れられていない。海軍の後援を受けているため仕方ないのだが、書けなかった事などを盛り込んだ改訂版を戦後書いて頂いていればより興味深かったと思う。ただ、戦場と同じように我々が知り得ない、士官室やガンルーム(士官次室)、艦内の様子、戦闘中の艦上の将兵の行動、ラバウル港内の風景描写などは非常に優れている。
本書には他に小品二作が収録されているが、その中にぼろぼろの服装をした連合軍捕虜の描写がある。著者は搾取と強圧、傲慢の英米人の成れの果てという様な表現をしているが、自らが重巡「鳥海」に乗ってすぐ間近に見たガダルカナルで、連合軍捕虜たちを遥かに越える悲惨な生き地獄を、この後すぐに友軍が味わう運命になろうとは、皮肉としか言いようがない。正義や主義の正誤ではなく、戦争は敗けたものにより過酷で悲惨な境遇を強いるものなのである。戦場で敢闘し、奮戦し、猛訓練の成果を発揮し、傷病と犠牲の辛酸を舐めるのは、何時でも何処でも最前線の将兵たちであった。
著者はかつて、その政治力から文壇に天皇の如く君臨した人。殆どの政治家が死後、生前とはうってかわって一顧だにされないのと同様の運命をこの人も辿る。代表作のレビューを今もって誰も記していないというのが、厳然たる事実である。アーティストでもなければアルチザンでもない。政治家。文壇政治家の末路である。 といいながら、この短編集、じつはそんなに悪くもない。高みから見下ろして自己犠牲を怠っているのでもない。私小説的切り口で両親はもちろん、親戚までもさらし者にしている。親戚はいい迷惑だろう。
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