子どものころ、使っていたものと同じで、懐かしく、使いはじめました。
ただ、楽譜やさんと違い、ビニールカバーはついていなくて、直だったのが、ちょっと残念でした。
3:ファニ(Fly to the Sky)の主題歌は、切なく歌いあげていてスルメ的な名曲です。7:少女時代テヨンと、13:少女時代の曲は、トゥルミ(イ・ジア)のテーマソングで劇中の情景が浮かんできます。 その他、劇中第5話で圧巻の演奏を見せた、リベルタンゴ、ウィリアム・テルも入っています。この2曲は韓国輸入盤には入ってなくて残念でしたが、この日本限定盤には入っています。CD1の劇中BGMもオーケストラ演奏なので、クラシックのCDとして楽しめます。
人里離れた森の中の湖の静かな水面を想像させる演奏だと感じた。 そこを時々風がなでたり嵐が通ったり魚が飛び跳ねたりするような。 演奏家から受ける印象は人それぞれだと思うので主観に偏らず表現するのは難しいが、この人の演奏が美しく落ち着いたものであるのは確かだと思う。 メリハリの非常にはっきりしたタイプや、感情をストレートに表現するタイプの演奏ではない気がする。 自分には静謐としか表現が出来ない。テンポの激しい楽章を聴いている時でさえそう感じる。
個人的には月光の特に第一楽章はこのアルバムが一番好きだ。 テンポや旋律がゆったりとしているから当たり前かもしれないが、落ち着いた、威厳のある、それでいて優美ないい演奏だと思う。いつまででも聴いていたい。 私は弾くことは全く出来ないし演奏や技術に関する専門知識もないのだが、この人の演奏に奇をてらった解釈は感じないので 初めてベートーベンのピアノソナタを聴く方にこのアルバムはそんなに抵抗がないのではと思う。
録音の状態もあるのかもしれないが、硬い音質ではない。CDなのにレコードのような温かみのある音だ。録音年代もかなり前なので当然と言えば当然か(と言っても雑音が入る訳ではない)。 他の方も言われているように、ジャケットデザインがとても素敵だと思う。ほの暗い夜に差し込む月明かりのイメージって、自分が感じているこの人の演奏そのもののような気がするからだ。 この人のこのアルバムで初めてピアノソナタを心からいいなぁと思えるようになった、自分には記念すべき一枚だ。
絵画の天才ピカソは、抽象芸術というまったく新しい芸術を完成させた。
当時の評論家達は、これは絵画じゃない、絵画とはこうあるべきだ、こうでなきゃならない、これが正しい、と言い張った。
結果、評論家達の言っていたことは見当違いと証明され、ピカソの名前だけが残った。評論家が謝ったという話は聞かない。
理論好きな評論家達は、クラシック音楽を自分達の物にしたがる。
クラシックは、こうあるべき、こうでなきゃならない、これが正しい、などなど。
しかし、皮肉なのはモーツァルトは、当時のそういう固定観念を打ち砕くことで芸術を完成させた。
モーツァルトが一流ならば、固定概念に縛られ、こうあるべき、こうでなきゃならない、これが正しい、という人々は全て二流、三流ということになる。
天才ラヴェルだってそうだ。
「ボレロ」という曲で固定概念を打ち砕き芸術を完成させた。
そのときも評論家はあれこれ言った。しかし評論家が謝ったという話は聞かない。
おそらくこの本も、天才が書いたものなので、評論家からは酷評されるだろう。
しかし、こうあるべきという、固定概念にとらわれている人たちに酷評されるのはむしろ名誉なこと。
芸術とは固定概念から自由なものだから。
ピカソやモーツァルトと私たちの脳のスペックは同じである。
なのに表現するものがこうも違うのは何故であろうか。
本書には明確にそれが記されている。
さらにどう脳を使えば表現するものを素晴らしく出来るのかも書いてある。
その上、CDまで付いている。
そのCDも著者のインタビューというようなローコストで出来るものではなく、音楽を組み合わせるといった時間もお金もかかると容易に想像できるレベルのもの。
苫米地さんの名前を使えば、1万円で販売しても納得して買う人が多いだろうに、出し惜しみせずに本でリリースしてしまうところは流石。
クラシックはこう。メタルはこう。ジャズはこう。ポップスはこう。などなど。
これらは全て抽象度が低く、我が強い。
音楽は、音楽。
なんでもあり。
誰もが自由に楽しめるもの。
この本、このCDを聴くことで、もっと自由な発想が手に入るだろう。
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