グッバイ、レーニン! (竹書房文庫)
私は大学でドイツ語を専攻しており、在学中の1989年9月、
まさに壁の崩壊する直前の東ベルリンにも立ち寄っている。
東に見せつけるために、必要以上に華やかな西ベルリンから
東ベルリンに入ると、全ての物が色褪せていて、
道行く車〈トラバント・・ボディの一部は強化ダンボール!〉の
紫色の排気ガスは目と喉を刺激して
まさしく「東側」に来たことを感じさせた。
街の中心部まで歩いていっても人影がまばらで
商店のショーウインドーにも棚にも商品は少なく
強制両替させられた東ドイツマルクを持て余し
キオスクで新聞を買えば、少し握っていただけで手が真っ黒になった。
カフェで頼んだコーヒーはコーヒーと言える代物ではなく
しかし全ては今では貴重な体験に思える。
そんな懐かしい想い出に浸りながら、
『グッバイ・レーニン』を観て、そして読んだ。
あれから10年以上も経ったからであろう、
よくもここまであの当時を客観的に描写したものだ。
またドイツ人にこれだけ(!)三谷幸喜ばりの
ユーモアセンスがあったことに驚かされた。
サルバドールの朝 [DVD]
Jウッズのファンなので、ビデオを借りてみたのだが、
はじめてみたとき、実話の重さとラストの切なさに耐え切れなかった。
そして、この映画は、私にとって、「見たいけど最後まで見ることができない」映画となってしまった。
DVDの値段が下がったことにより、10年ぶりにもう一度見る機会を得た。
やっぱり、この話は重いし、ラストは耐え難いほど切ない。
また、未公開映像はさすがに未公開だけのことはある。
平和ボケした日本人を目覚めさせてくれる佳作である。
ジェームズウッズの魅力が満載である。
グッバイ、レーニン! [DVD]
やさしい嘘というのはいつも感動する。
レーニン像が空輸されるシーンは印象的で、美しかった。
フェリーニの甘い生活にあんなシーンがありました。
それでもなお騙し続ける根性に感心したし、
実家のお母さんを思い出しました。
「グッバイ、レーニン!」オリジナル・サウンドトラック(CCCD)
それは、ヤン・ティルセンの新譜ということで気になってはいたけれどまだ手にしていない時。私は某テレビ番組のBGMにくぎ付けになりました。それは、一度も聴いたことのない曲で、しかも“楽器の演奏だけなのに”、確かにヤン・ティルセンの曲だと直感したのです。そしてすぐに買い求め、見事に的中してしまいました。
“この音は彼でしかあり得ない!”という音なのです…。
『アメリ』で有名になったヤン・ティルセンですが、あの面白く軽妙なアコーディオンの世界とは別に、彼にはとても深遠な感性があります。私はその深遠な感性の方こそ、彼の醍醐味、世界観だと思います。そしてこの作品は、その「深遠」な部分を十二分に見せてくれます。
ヤン・ティルセンは楽器を多様に操り、「一人でオーケストラを演じる男」とも称された人です。この作品の骨はピアノです。ピアノが繊細に大胆に流れてゆく中、その低音に混じりコントラバスが胸の底に響き、突然破裂音のようなトランペットが静寂を切り裂きます。煽情されるようなはっとする音です。それからこもったオーボエやクラリネット等の管楽器も、霧がかったドイツ的なムードを演出します。
でも決して暗くはありません。言うなれば、「一面の霧か靄に一条の光が射す…」といった感じです。悔い改まりたくなるような、心が洗浄されるような音楽です。
最近方々の番組のBGMで聴かれるヤン・ティルセンですが、これは、ステレオの前かヘッドホンで、聴き入るべき音楽だと思います!ただのサントラでは終わりませんよ!