サマータイムマシン・ブルース [VHS]
2001年初演、劇団ヨーロッパ企画の同名戯曲の映画化。
ある日、大学のSF研究会の部室に「タイムマシン」が突如出現!!
しかし、思いついたタイムマシンの用途は、壊れたクーラーのリモコンを昨日から持ってくることだけ。
それでも過去を変えたら、自分たちも消滅する?というタイムパラドックスを阻止するため、大奮闘。
未来や大昔にトラベルするのではなくて、SF研+写真部の数人の登場人物が、
昨日と今日の部室を行ったり来たりするだけ(+α)というごく限られた内容の「タイムトラベル」もの。
「クーラーのリモコン」がたどる時間軸の説明が、非常にクリアー。結局歴史は変えられない?
おおげさな内容ではなく、ごく身近なエピソードだけで、十分SFしているところが非常に面白いです。
いろいろと張られた伏線も効いており、脚本が良くできています。
また、数々の小ネタも登場し楽しめます。(そのなかでも「ビダルサスーン」の印象が強烈。)
原作の演劇もDVD化されており、映画で描かれた部室の外の出来事が、舞台ではどう処理されていたかなど、観比べるのも一興です。
よく言われように、大掛かりな仕掛けや費用がなくても、脚本が面白ければ面白い映画(あるいはSF)が創れることの一例です。
上戸彩 20・25
このような類の本をはじめて買いましたが大満足。値段もお手頃ですし、中身もいつもとは少し違う彩ちゃんが見れた気がします^^韓国ロケの写真がとっても魅力的。ただ、ドラマの役写真があったらもっとよかったかも。ファンにはもってこいの一冊。オススメです!
アクチュール 2012年 1月号 No.27
ピースの又吉さんが連載していると知り、それ読みたさに購入しました。
又吉さんの連載頁は、やっぱり最高でした
(でも、ファンなのでカラーでみたいです。ぜひグラビアページでも!)。
意外だっのは、この雑誌を知らなかったこともあって、
豪華な人たちがたくさんのっているんだ…とびっくりしました。
生田斗真からハライチまで、オールジャンルでした。
あと、「男子のお手本」がめちゃくちゃ刺さりました!
男子の手が好きな方にはたまらないと思います。
いろいろとモウソウうずまきます。
のだめカンタービレ in ヨーロッパ [DVD]
放映された時は、いうなら連ドラの同窓会気分で楽しんだ。千秋がプラハで指揮者コンクールに挑む過程が、連ドラの思い出のシーンと日本の裏軒に集まる峰たちを交えて描かれ、連ドラを楽しんだ人間には上質の同窓会体験を提供する。本当に良くできたSP番組だった。しかし映画「最終楽章」が出来たことで、このSPの位置づけが変わる。
のだめの才を惜しみそれを開花させたいと願うのが千秋の出発点だ。恋愛対象としては“変態”は問題外だったはずだ。それが「出会ってから良いことづくしだ」というわけで、気づいたらのだめは千秋のミューズだった。愛しさで思わず強く抱き締めてSPは終わる。しかしのだめにとって千秋は何者?
「君はここに何しに来たの?」オクレール先生の質問に、“先輩といつか共演できるピアニストになるために。”と答えないのだめ。アパートの前で一目惚れして“拾った”先輩は、思わずしがみつきたくなるイイニオイがして、呪文料理を食べさせてくれる。気に入らないと自分を投げ飛ばすが、感動で涙が出る演奏もする。幼稚園の先生の他に先輩の妻にも成りたくなったと口走るのだめは、ただ千秋と一緒に居たいだけだ。直感的な千秋への執着。が、そのままでは千秋に置いて行かれるとシュトレーゼマンに言われて、千秋に付いて行っていつか共演するという目標を見つけた。だから先にルイに共演されて激しく対抗心を燃やし、急上昇志向をして、自分を見失う。「何のために弾いているのでしょうね?」と自ら口にするまで。クリスマスの夜の大げんかを経て千秋の方は、「俺はたぶんいろいろなことを覚悟しておいた方が良い」と考えるようになるけど‥。
二人の関係の決着は「最終楽章後編」まで持ち越す。なにはともあれ、二人には幸せに成って欲しい。
のだめカンタービレ 最終楽章 後編 スペシャル・エディション [DVD]
何より音楽が映像化されていてとても楽しめます。
音楽が好きになる、それだけでも得難い映画だと思います。
コミックでは何しろ音は出ませんから。
そして、コミックでは可愛すぎる<のだめ>が実写版では、ダークで重い<のだめ>になっていて、原作以上の出来です。
何となくすっきりしないのは、原作がそうなので仕方ありませんが、<のだめ>にとっての音楽の意味が明示されていないからです。
<のだめ>がピアノを弾くのは千秋に認められたいからです。勿論、他の人もそうです。ヨーロッパ編になって、音楽は人に認められる手段と化しました。音楽する喜びではなく、成功するための手段になったのです。
<のだめ>以外の人は簡単です。コンクールで優勝すればいいのです。
でも、<のだめ>はいくら良い演奏をしても、千秋はまたすぐ一歩先に行って、<ここまでおいで>というのです。<のだめ>は疲れ果て、それがダークな<のだめ>になっているのです。
すぐそこにいるのに、永遠に到達しない。
<のだめ>の生き甲斐は千秋に認められること、千秋の演奏の一部になること、でも千秋は容易にそれを許してくれないのです。そして<のだめ>は絶望しました。
<のだめ>はラベルの協奏曲を別の人とやることになった千秋を恨み、シュトレーゼマンの誘いにのってしまいます。このときのエネルギーは千秋への恨みのエネルギーで、ここでも実写版では屈折した感情がよく表現されていました。
<のだめ>が大成功の後絶望したのは、自分こそ千秋を裏切ったと感じているからなのです。
千秋の為に音楽をしてきた<のだめ>はもう千秋を裏切った以上、音楽を続けられなくなります。
でも、千秋が音楽家である以上、千秋との最高の結びつきは、千秋とともに音楽を奏でることであるはずです。千秋に認められるためではなく、千秋とともに生きる為に音楽があるです。
残念なのは、そういった音楽のもつ意味、……屈折した感情や、人を愛する喜びを表現する手段であること、また人ともに生きる手段になること、そして人々と感動をともにする喜びを感じる手段であること、それが明確に意識されていないことです。
本来はラストの場面の連弾で、<のだめ>(と千秋)にとって音楽の持つ意味を明示すべきだったのです。
原作がすっきりとしないからこそ、そして、<のだめ>のダークな部分を表現し得たからこそ、原作では十分表現しえていなかった構図や意味を明示してほしかったと思います。