注文から発注まで2日で届きました。トーマスも好きなので、子供は大喜びでクルクルつまみを回して遊んでいます。○の中で数字が変わりますが、カチッと静止するわけではないので、通りすぎてすぐに数字が戻ります。3歳になったばかりの子供なので不器用ですが、なんとか静止させようと慎重になったりして、そんな様子も含め、満足しています。興味を持っている時、というのもあるのかもしれませんが、かなり夢中に遊んでいます。耐久性の★を4にしたのは、動く部分があるし、私の勝手な思い込みです。今のところはいい感じです。
オリジナルだと動きはわかりますが細かい所までは・・・ なので日本語字幕版を購入しました! これはわかりやすいです。 思わずその場で実戦。 これは買いです。 最新のショットガンまで スムーズにリリースして欲しいです。
通常見ることのできない珍しい小火器の写真が見られるので一見の価値ありかと思います。 ただ、説明文には9mmパラベラム弾の輸出用MP-446がロシア軍の正式拳銃であるかのように記載するなど誤りが多々あるので、あまり信用しないように。
「続・荒野の用心棒」では、ジャンゴは棺桶を引きずり、泥だらけの荒野からやって来た。 「風来坊」では、トリニティは馬に引きずられ、埃だらけの荒野からやって来る。
娯楽映画史に一時狂い咲いたマカロニウェスタンも、粗製濫造の果てにやがて衰退の一途を辿ることになる。そんなマカロニブーム末期、突然変異のようなキャラクターが現れた。 穴だらけ・ボロボロの服に、カウチ(?)を馬に曳かせ、その上でのん気に裸足で大あくび。ブーツは引きずられて砂まみれ。どこへゆくのか?「風来坊」は風ならぬ馬まかせ・・・。
『トリニティは、観客のために、「荒野の用心棒」以来現れた、それを模倣したつもりの五百本の劣悪な作品のかたきを討ってくれたのだ』― セルジオ・レオーネ マカロニの主人公は、イーストウッドやネロに代表される、寡黙でニヒルなガンマンだった。それが、馬に指示され干草を運び、ガンベルトを面倒臭そうに引きずりながら酒場に入ってゆくヤル気のない主人公・・・意表をついた発想で、型にはまったガンマンのイメージをひっくり返した、テレンス・ヒル演じる「トリニティ」は、マカロニに新たな「コメディー」という新境地を開いたのだ。 監督・脚本は、あの「続・荒野の用心棒」の伝説的なオープニングを撮影した名カメラマン・E.B.クラッチャー(a.k.a. エンツォ・バルボーニ)。「続・荒野〜」のセルフ・パロディーとしか思えない爆笑オープニングから、ぐいぐい引き込む演出手腕は、あなどれない。
〈寝ぼすけ?うすのろ?ところがどっこい!奴ぁ西部一の腕っこき〉 このトリニティというキャラクター、のん気な性格とは裏腹に「悪魔の右手」と呼ばれる凄腕ガンマン。 「悪魔の左手」と呼ばれる兄バンビーノ(バッド・スペンサー)と共に、西部にその名を轟かすガンスリンガーなのだ。 ところがトリニティ、信心深い開拓移民の美人姉妹に一目惚れ。そしてこの移民たちの土地を、少佐と呼ばれる街のワルイ有力者が虎視眈々と狙っている。トリニティとバンビーノ、開拓民のリーダーに闘うよう説得するが、平和主義の彼らはどこ吹く風。しかし、度重なる少佐一味の嫌がらせと、兄弟の説得が功を奏し、開拓民リーダーも上げる、重い腰。ただし条件は「銃を持たず、人を殺さず」。 かくして、西部一の早撃ち兄弟はガンベルトを外し、平和主義者の助太刀勝負。 西部劇史に残る「大殴り合い大会」の幕がいま、上がる!
これを観て地団駄踏んで悔しがったのがレオーネ翁。早速テレンス・ヒルを抱きこみ、トリニティのキャラクターをほとんどそのままに、製作したのが「ミスター・ノーボディ」なのでした。 大友克洋氏も絶賛の西部劇のルーツは、かくの如し。 『(ミスター・ノーボディが成功したのは)私が抱いていた考え、すなわち主人公トリニティ(ノーボディ)のファンタジー性や卑俗さと、フォンダによって代表される、大西部や古い西部劇の伝説とを対比させるという考えが活かされているからだ』― セルジオ・レオーネ
|