こういう言い方はずるいかもしれないが、“なんともいえず”面白いのである。
時間の軸を行ったり来たり。
推理ドラマの意外な結末への驚きとは違った種類のささやかな発見の連続が
楽しくて仕方がない。
たった一晩の出来事を巧みな脚本で一つの映画に仕立て上げたその力量に大いに舌を巻く。
ここまで周到に練られていると、宮田君にとって彼女は“運命の人”であったようにも
思えるのだが、それは私たちが一歩引いた所からこの物語を眺めているからだろう。
実際当事者の彼にとっては、いつもと何らかわりのない夜にたまたまあった女だった
わけですし。
周囲の人々がみえないところでゴタゴタを起こしているのに、
いたってマイペースな“運命じゃない”二人の姿にくすりとさせられる。
日本映画、まだまだ捨てたモンじゃない!
国民的小説が原作で、しかもあれだけの大作を2時間ちょっと(エクステンデッド版で2時間半)の作品にまとめるのだから、どうしても原作とは違ってくるのは仕方がない。問題は映画としてどれだけ面白いかだ。
結論を先に述べると、監督と脚本をトラン・アン・ユンに委ね、外国人のフィルターを通して再構成したのが功を奏したと思う。叢の中を「ワタナベ」と「直子」が闇雲に向きを変えながら歩きまわる場面の緑や別れの場面の雪の白等の、映像美、透明感、浮遊感に満ちた作品に仕上がったと思う。
学生運動の時代の日本、特に大学生を取り巻く環境を土台にしながら、作品中の人物はどこか日本人離れした感じがする。それは「ワタナベ」を始めとするキャラクターの感情の起伏をできるだけ抑えた台詞回しが一因だと思うが、舞台が日本でありながら、日本であることを突き放した感じは、今や世界中で支持されている原作にふさわしい。キャストは日本人俳優を起用しながらスタッフをインターナショナルなチームにした狙いは当たったと言える。
何より重要なのは、身近な者の死と対峙を迫られた「ワタナベ」の無力感と空虚感、しかし死と死者に魅せられながらも、生き続ける厄介さを引き受ける心情がしっかり描き込めていることだ。
ただ、例えば「戦争と平和」の映画化が原作の世界感を全部は拾えないのと同様、この映画も原作の圧縮・再構成版と割り切って観ることが必要だろう。
なんとも不思議な作品だ。 認知症の娘が持ってきてしまったどこかに埋められていた封筒を持ち主に返してほしいと依頼される占い師・ほのか。 突如現れる言葉を話せない書道家・ルゥイィ。 描くことを忘れてしまった画家グローク。 絡み合っていく三人の過去、傷、想い。 だがだが、その表現の仕方が実に不思議。 どう形容したらいいのだろうか。 良いも悪いも実に日本映画的。 好き嫌いも結構はっきり出る作品かと思われる。
無名・地味な俳優が大半を占め、僕が知っている俳優さんは主演の吉村涼と根岸季衣、小野寺昭のみ。 でもお芝居の上手な方ばかりで、結構楽しめました。
特に主演の吉村涼が素敵。 「渡る世間〜」の印象が強いかもしれないが、僕的には「パパは年中苦労する」の時のイメージの方が強いってな子役からのある意味ベテラン。 主人公のほのかを愛らしく、さわやかに演じており、とても好感が持てます。 こんな女優さんがもっと増えれば、日本映画はもっと楽しくなるかな、なんて思います。
愛せないのなら 生きている意味は無い。 それは だれもが思う究極の愛の形。
愛せないが故の苦しさはきっと並のものではないと思う。
死を選んでしまうのか もがきながら 再生に向おうとするのか。
なんども原作を読みましたが 映画も悪くないと思います。 原作をテイストを残しつつ 映画は映画としての味わいがありました。
たとえば映像の優美さとか 当時の雰囲気を伝える背景や小道具など 人数をかけた画面の賑わいや迫力 どれも最近の邦画にはみられない重厚さだと思います。
あと 小説を読んでいる時に想像した場面が 裏切らないものになっているのも驚きでした。 当時の大学 学生寮 京都の山奥 など 個人的な想像と映画の画面が合致していたのです。
日本小説の金字塔を原作にして 果敢にも映画化に挑んだスタッフの意気込みに拍手。 並々ならぬこだわりや 細部まで手が行き届いている感が伝わります。
ビートルズの楽曲を使えたというのだけでもすごいと思うし レコード店長や 大学教授のキャスティングにも 手抜きはありません。 中でも 菊地凛子の圧倒的な佇まいは必見です。 原作よりも直子の苦悩が激しく表れていると思うのです。
しかし しかしながら 原作を読んだものにとっては 今ひとつ感は残るでしょう。 「お葬式」がないことが決定的でした。 個人的には突撃隊のちょい役的な扱いも残念。 あとは原作のもつ一種の気怠さがない点も。
原作を読んでいない人なら 展開の早さについていけないんじゃないかな、と。 なんだかいろんなことが 唐突に展開するストーリーに映ってしまうのかと思います。
単独で秀作とはいえないけれど この映画が存在する意味は大きいと思います。 邦画の行く先に選択肢が増えた様な気がするのです。
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