日本に初めてキリスト教を布教したフランシスコ・ザビエルが所属していたことで有名なカトリック教会の修道会の歴史を、創設から現在に至るまで書かれた本です。 イエズス会のように世界中に広がって宣教や教育に従事している組織は、布教先の異国で土着の宗教や風習による抵抗に遭い、宣教師たちは布教のために苦心し、時には現地の信者と教皇庁との間で板挟みになって苦悩する記述が一度ならず見られました。 また、既にカトリックの地盤ができているヨーロッパでも、その規模と影響力の大きさのため、流動する世界情勢に対して常に対応を迫られて歴代の指導者たちもまた苦悩と激務の日々を送っていたようです。そして時には世俗の権力や教会内でも妬まれ、一時は壊滅状態にさえ追い込まれた時期もあったのです。 そうした一連の流れを見て、人というのは信念のためには死をも恐れない情熱の持ち主にも、その逆に自分のためなら他人を傷つけ破滅に追い込むこともいとわない者にも、その他数限りなく、どのようにもなれるのだなと思いました。
キリスト教に興味のない人には関係ない写真集かもしれません。厳粛な修道院の中など普通見られません。見たくて見たくて興味本位で購入しましたが、とても静かな空気が流れていて癒されます。自然と共に暮らしているその生活ぶりも、祈りの場だととても神聖なものに見えてきます。私達の現実の生活はごちゃごちゃしすぎていて疲れる時があります。修道院の中での質素で静かな生活に憧れたりもします。
霊躁は一ヶ月のプランで構成されているが、短くして8日間で一通り体験することができる。この本は読んでみれば解るが、読んだだけでは何の効果もないことがわかる。実際イエズス会修道院において司牧者のもとで指導を受けることが望ましい。
わたしは8日間の霊躁を受けたが、たかが8日間といえども長いもので、逆に途中でついていけなくなったりしたら時間を取り戻すことは不可能である。つまり霊躁を始める前には準備が必要である。簡単に言うならば、数日前からあわただしい生活から離れ心を落ち着かせておく必要がある。たしか金曜日の夜から日曜日にかけての二泊三日の黙想会もあるので、それはとても参考になると思う。
霊躁はカトリック教会における静養だが、根本的には曹洞宗の禅と同じである。瞑想は結果的にどの宗教も同じことをしているといえる。日本語訳はいくつか出版されているが、司牧者の方から良い訳といわれるのはこの岩波文庫である。それは日本人に合った解説が付けられているからといえる。
この書物は本格的に遂行しようと思うならば、一ヶ月の時間を作らなければならない。よって時間を作れない仕事はやめなければならないだろう。その場合、霊躁を受けたいが仕事の方が大切であることは最もであることを熟慮する必要がある。いずれにしても霊躁を受けることは困難であるが、わたしから言ってみれば選ばられた者が受けることができる。
しかしそれ以上に霊躁を受けた者は必然的にそれからの道が決まっているだろう。霊躁は自分を見つめなおし、これからの生活を新しく生きていくことを目的としている。
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