文部科学省社会人の学び直しニーズ対応教育推進プログラム委託事業として青山学院大学と大阪大学で「ワークショップデザイナー育成プログラム」というものが行われています。
そこの講師であり内閣府内閣官房参与である著者の平田オリザさんの授業を受けて演劇ワークショップに興味を持ちました。
そこで手に入れたのがこの1冊です。
さすがわ演劇人が書く本は違います。
本の中に入って演劇ワークショップの世界を探検しているかの気分になってきます。
体験しながら学ぶ経験をこの本でも体感することができます。
コミュニケーションとは何ぞや?
そんなことを考えさせられます。
教育現場に演劇を取り入れたい人、企業研修に演劇を取り入れたい人、海外の文化事業に興味がある人、研修講師やファシリテーターの方で演劇の要素を取り入れたい人におススメです。
演劇界が一般社会にアウトリーチしてきたことを感じた1冊です。
本書は演出家の平田オリザによる演劇論と演出論の入門書だ。彼が各地で行っているというワークショップの内容と、そこで実際に使われているテキストを書籍化したものと考えていいだろう。
本書はまずそのバランス感覚において優れているといえよう。どんな分野でもそうだが、誰かが入門書を書くとなると、その人の党派性や得意分野というのが表出して玄人からすれば偏ってものすごくいびつな「入門書」ができあがってしまうことがある。その点において、本書はアフォーダンスなどを援用する平田氏独自の考え方や方法と、現代演劇全般にいえることを丁寧に分けながら書いているため、混同する心配はあまりない。近代演劇から60年代のアングラ演劇、そして今の演劇にいたるだいたいの流れも把握できるようになっている。また、カルトと見まがう危険な劇団とそうでないものを見分けるような注意喚起もしている。
評者は演劇畑の人間ではなく、演出家がいったい何をする人で、そして何を目指している人なのかというのに興味を持っていたのだが、この本を読むことで一応の「答え」のようなものは得たような気がした。本文中で時系列のわかりやすい図によって解説しているのでくわしくはそちらを見てほしいが、演出家とは観客の想像力を誘導して、あたかも自分で舞台上の事態に気づいたかのように仕向ける者のことなんだそうだ、なるほど。
演者たちがどうすれば「コンテキスト」の共有ができるかなどの工夫など、演技論としても卓越している。ガラスの仮面よろしく「木になったつもりで」が演技なんだろうと思っている素人の人は、読むと発見が多いはず。
二段組みの脚本を読んだときには感得できなかったことであるが、様々なグループの会話が重層的に展開するさまが、脚本上は淡々と進むかにみえた劇の進行に動的な効果を与え、観衆にその情報処理能力を最大限に稼動させることを要求する。その他、登場人物の配置や移動関係が複雑なこともあり、本作についてはDVDでもよいから舞台そのものを観ないとやはり駄目であることを納得。
それにしても、日本に名画や難民が避難してくるということは、「平和維持軍」への参加はあるようだが、この戦争では日本は中立ということなのであろうか。いずれにせよ、恋愛や不倫、介護、相続、仕事、学業、帰郷などなど、本作はいわば小市民的な等身大の日本人の姿(諸相)を、例えていえば宇宙のような遠方から「カメラ・オブスクーラ」で切り取った作品であるということができるのではなかろうか。
なお、本DVDには67頁の原作台本が封入されています。
同調性がつよい日本の社会で、個性を持った子は自分の思うことを発言出来ない。 「あなたの言ってることがわからない」といわれると傷きますし、 敵になってしまうことは迂闊に言えないので、自分の影を薄くして息をひそめる。 わたしもそんな暗〜いとこもあった子供時代&思春期さらに青年期を過ごし、 多様性のある場所で単独行動するのがしっくりときます。 これから、移民社会になることに不安と期待が入り混じってます。 訓練をつんでいないので、意見の違う相手と対話ができなく、 コミュニケーションがとれません。これは皆の課題です。 子供の発言を保護し、"野性的な個性"を"社会的な個性"に育ててくれる学校環境と、 コミュニケーションの基礎「型」を教えてくれる授業の必要性を感じました。
「セリフの言い回しだけ練習してはだめ」という部分を読んだとき、ドキッとして、自分を省みました。 本書を読むことによって、自分の演技の土台の密度がキュッと高くなるのを実感しました。普段の生活で見過ごしていた自分の感覚、動き、気持ちの変化を、見つめることが多くなりました。俳優の見方も変わりました。 これから演技をやってみたい、興味がある、というような方も、既に俳優として活動しているがもっとステップアップしたい、という方も、本書に引き込まれること間違いなし。開くたびに新しい発見がある本です。
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