初演(もう30年以上も前か!)の公演を十数回みたので、細部まで色鮮やかに覚えています。このCDを聞きながら、心の中で舞台を映像としてよみがえらせ、歌も当時の役者さんが歌っている歌声に、付け替えて、楽しんでます。
久野綾希子さんのディアナかわいかったなぁ。ワンのステップも練習したな。なつかし〜。
まさに頂点にして原点。ポケモンの中で一番ポケモンらしく、そして名作である。 チビの時みて、難しい内容だなと思ってたけど、それでも画面に釘付けになって見たのを覚えてる。年を重ねるごとに見てって、今は高校生。ようやく作品のテーマが理解できた。
それだけ難しく大変なテーマをよくここまでやったなと今思う。冒頭にでてくる一人の少女と初代三匹とミュウツーのふれあい。みてると涙か止まらない。 どんな境遇でも生きてる。生き物なのだ。 是非今の子どもたちにも一回見てほしい。ポケモン好きなら、尚更。
市村正親というのは不思議な役者だなあ、と思う。この人はある程度、歳をとってから大衆的な人気を博すようになった。若いときは、どっちかというと「好きな人は好き」というような存在だったように思う。僕も「才能はあるんだろうけど、あまり興味ないな」という人だったのに…それが今では市村正親に興味津々!
普通「ギラギラ」はイコール「いやらしさ」に読み取られるが、市村はその「ギラギラ」を「前向き」と認識させることに成功した稀有な人だ。篠原涼子との結婚も、還暦にして子どもを持ったことも、妬みや嫉みをもって語られるより、文字通り慶事として世間に受け入れられているではないか。
そこで本書。これは「なぜ世間から市村正親は好かれているか」がよくわかる1冊だ。言い方を変えれば、この本を手に取った人のいくらかが感じているだろう「なぜ自分が市村正親に惹かれるか」という疑問を払拭できる本でもある。「ギラギラ」をどうすれば老成した「前向き」に昇華できるか、といったヒントも詰まっているように感じた。
もともとサラブレッドではなく、庶民的な父母に育てられた市村。ブロードウェイやウエストエンドにかぶれるでもなく、滝沢修の芝居に心打たれたり、西村晃の付き人をしたり、島田正吾や山田五十鈴に憧れたりするあたりにも、この人の魅力がある気がする。劇団四季時代の浅利慶太の言葉から、鹿賀丈史を太陽やステーキ、自分自身を月やクレソンに例えているが、もはやこのクレソンはステーキ以上の存在感を放っている。
ご本人にお会いしてお話をうかがったことがありますが、もうこの本の口調そのままの方です。裏表一切ない方です。自分に厳しいようでいて甘えんぼっぽく、凛々しく貫禄がありいかめしいと思いきや無邪気でお茶目な少女のようでもあり。 市村さんは和洋何でも努力で意地でもこなしてみせる、日本が誇れる不世出の名優だと思います。そのひたむきさ、見えないところで積んだ努力の数々、人とひととのふれあいを大事にする生き方、全てが演劇界に縁のない人でも感動を呼ぶのではないでしょうか。惜しむらくは映画俳優と違い、舞台は後世の人がそのままを享受できないところですが…(舞台の映像化では到底、あの魅力を残せないのです)平明な口語体だけど深い言葉の数々を、噛みしめたいものです。
ユダヤ人への差別。シャイロックが ひたすら哀れで、胸が痛くなった。
彼は、勤勉で真面目な男なのに、 皆から見下され、ツバを吐かれ、 尊厳を奪われ、改宗まで迫られる。
「(ユダヤ人だって) あんた達と同じ人間なんだ!」
アル・パチーノが素晴らしすぎて、 他の役者たちが霞んでしまった。
今まで私は、こんなにも心に痛い シャイロックを観たことがなかった。
結末を素直に受け止めるのは難しい。 この世は不公平なんだとつくづく思う。
哀れな金貸し、シャイロックの 悲しみを秘めた瞳が忘れられない・・。
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