ウンベルト・エーコの原作は2冊に及ぶ大著であったが、貪るように読んだのを思い出す。かなり話題になった本ではあった。
そして、ジャン・ジャック=アノーが、時代考証なども非常に入念に行って映画化したのが、この作品である。ショーン・コネリーもはまり役なら、新人だったクリスチャン・スレーターの初々しい演技も見物である。
インターネットなどなかった時代故、中世カトリック修道院での生活ぶり、衣装や装飾、ライブラリーでの写本製作など、当時北方ルネッサンスをかじっていた小生にとって、(イタリアとネーデルランドでは南北の反対側だが)たいへんに興味深いものがあり、イメージの具体化に大きく役立ったモノだった。
今まで、国内ではなかなか入手できず、私はusa盤を購入した。もちろん日本語は対応していない。今回こういう低価格で発売され、複雑な心境ではある。古い映画なので画像はそこそこである。いっそのこと、DVDを飛ばしてブルーレイ化してもよかったのではないか?
ともあれ、映画好きな若い人にも是非お薦めしたい作品である。
エーコは翻訳にあまり重点を置いていません。翻訳とは原語を自国のよく似た言語に変換するわけですが、情報工学のエントロピーの法則では翻訳すれば情報のかなりの部分が拡散します。記号学者エーコが研究している大きなテーマでしょう。 フーコーの振り子では『薔薇の名前』以上のエーコのストーリーテラーぶりを見せていただきました。この本はオカルト的な神秘さと日常に潜む興奮とに満ちています。エーコは百科全書的学者で私たちに眠れぬ夜を与えてくれます。是非一読してください。
進行役による序文の冒頭からして、非常に魅力的な本です。
ヴィクトル・ユーゴーの言を引くことで、建築という構造体が知の象徴であった時代から、書物として文化が普及する時代への変遷と、物理的な紙の書物がデジタル化される時代を対比しています。
そう、これは紙の本と電子書籍の優劣を語るような単純な本ではありません。
だってエーコもカリエールもただの愛書家でなく、インキュナブラからの蔵書家だし、書物の統制が政治にどう利用されたかの歴史も知っているし、そういうものにまつわるうわさ話が大好きのようだし。さらに映画人であるカリエールは映画にまつわるエピソードを次々に披露し、エーコがそれを絵画などに一般化して文化論にしたてていく。
博学なおじいちゃん二人の自慢話もありの無邪気な会話--なんて言っては失礼すぎるでしょうが、一言でいえばまさにそんな本です。
ただ、この二人はどんな話の展開をしたとしても、生来の知性と、その上に積み重ねた知識の量が半端ではない。だから決して自分の考えを検証せず押し付けたり、他の人の考えを貶めるような発想にはならない--むしろ知が人間をどれだけ思い込みから解放し、政治的な意味でもどれだけ自由にし、個人に対してどれだけ楽しみを与えてくれるかを真に楽しそうに話し続けてくれる。書物というのはその物理的な象徴であるわけです。
初読ももちろん楽しいですが、寝る前に毎夜のように適当なページをパラパラめくって、かれらの箴言(またはたまに戯言)をちょっとだけ読んでから眠る贅沢はこれからたぶん何年も何十年も続けられる楽しみだと思います。
厚さのわりに軽いという物理的な特性もそんな読み方にふさわしい本であり、1冊購入してベッドサイドに備えておく価値は十分あります。
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