どの曲も誰もが耳に挟んだことのある懐かしい曲です。 クラシック音楽だと敬遠してしまう方も、よく知っている曲をチェロで演奏しているというのだったらまた違った聴き方を気軽に楽しめると思います。 私は特に11曲目のビリージョエルのオネスティがお気に入りです。チェロの音の優しさやふくらみがとても胸に響きます。
アトランティス大陸を中心とした題材を元に作られた5作目。次々に奏でられる曲はストーリーを想像させるに十分な響きをもち、息をもつかせぬ展開が繰り広げられる。これほどの曲を極めて高い水準でドラマティックに聞かせる彼らの実力はまさしく本物!
「幸福論」を読む人は幸福ではないんだろな。学生時代からドイツ観念論に凝り固まった小生はヘーゲル、マルクスを叩き込まれ天地がひっくり返らない限り「治り」そうにない。もう「死ぬまでドイツ観念論」アランには違和感を感じる。東海林君によれば「ドイツ観念論」「ベートーベン」タイプは「もてない」らしい。カント、ヘーゲル、マルクスを愛読する女性を見たことない。たぶん「生理的に」受つけないんだろ。読書会ではともかくのりちゃんがマルクスを読んでいたかな?「和田君、本はいっぱい持ってんの?」と聞かれたことが。レーニンの農業理論をよく読んでいたが来年はお百姓だ。役にたつかも。「土とともに」生きる。これが私の「幸福論」だ。自給自足。自力更生。毛沢東主義ではないが。まあ一理ある。有機野菜を作り稲作も休耕田を借りればよい。則子さんもコンクリート・ジャングルと革マル派に辞表をだして俺と農業をやろう。土の匂いと夜は満天の星空だ、夏は庭にテントを張って寝よう。「書を捨てよ」野に生きよう。二人はまだ若いんだ。人生これからだ。
映画に感動して、その勢いで映画館の売店で購入(残念ながらAmazonで買ったわけではないのです)。これはあくまで比較の問題だが、映画は舞台よりもリアリスティックにすべてを表現するため、どうしても「演じるように歌う」印象がより強くなる。芝居が歌に勝ってしまうようなところがある。
そういう意味では、歌そのものを堪能するというより、俳優たちの芝居を思い出す“よすが”として聴く、といった性格のサントラではある。そうそう、アン・ハサウェイの「夢やぶれて」はこんなふうだったな、痛々しかったな、などというように。単純に歌唱を堪能するなら、英語・日本語にかかわらず舞台版の収録に軍配が上がることは間違いない。
いってみれば、歌の巧拙を論じてもあまり意味がないCDだろう。ついでにいえば、そのうち完全版や2枚組が出るさ、というのも、まあその通りなのだろうが、鉄は熱いうちに打ての例えもあるように、今聴かないでいつ聴くんだ、というような気持ちもある。せっかく盛り上がったこの気分をしばらく維持するために、現在ヘビーローテーションしている。
この評価は「アラン幸福論」の評価ではありません。(「アラン幸福論」自体は★5つです!)この★3つは、この編集のコンセプト&装丁に対する評価です。なぜまた、こんな風にアランの言葉を抜き書きした上に、余白たっぷりのごっつい本を作る必要があるのか、と。(そんなに日本人の活字離れは進んでいるのでしょうか? orz...さては「バルタザール・グラシアンの賢人の知恵」の"二匹目の泥鰌"を狙ったか?)"アラン名言集"として再構成するというコンセプトは仮に良かったとしても、少なくとも携帯に向くサイズにして文庫本なみの価格に抑えてほしかったなぁ。。。
「アラン幸福論」は文庫本で複数出ています(岩波文庫と集英社文庫)。集英社文庫の方が、脚注とか巻末のアランの人生の解説とか丁寧なので、そちらがオススメです。(あまり流通してないようですが...) なお、フランス語の本("PROPOS SUR LE BONHEUR")もオンライン書店経由で日本でも入手可能ですので、フランス語通の方は挑戦されてみては如何でしょう?(私は某K書店にて入手)
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