『意味の変容』とは、見方視点によって意味の変わらないものは
微塵も面白くない、全く真実をを含んでいない、のである。
ということだと思ったけど、そんな浅い解釈ではダメなのでしょうか。
森敦は「月山」の他はいくつかの文壇史を読んでいた。
それだけの知識でこの本を読み進めたが、途中息苦しくなった。「指導はするが一作も
書かない」森は「未だ」自分自身で小説を書くことに納得がいかなかったのだ。
傍目には陽気な妻と後に養女となった作者が森と接する日常が凄まじく、これ自体が
作り物のように感じた。果たして小説家とはこのようなものか。こんなにも己に書くことに
厳しくなれるものなのか。読んでいる最中、常に自問自答していた。
これから「月山」をもう一度読んでみようと思う。
山形弁で語る地元の人間がとても魅力だ。
厳しい自然の中で代々暮らしてきて、学問や現代の文明生活とは離れてはいるのだが、そこには村という一種の社会が存在して、その中に歴史や自治政治、互助が存在している。そして、積み重ねた生活の中から出てくる言葉に、時としてはっとさせられる瞬間がある。山は無言のうちに住民の心に存在している。そこで生まれて、そこで死ぬ。それは目標であり、規準であり、親である。まさに「山懐に抱かれる」生活と言う印象だ。
美しい曲、深く染み入る詩、そしてハートに響く歌。
初めて聴いた時、感動で心がふるえました。
土屋さんの歌には仰々しさはなく、包容力があって本当にあたたかく心地よいです。
アレンジも無駄がなく、この曲のテーマがより明確になっています。
「大切なことって何だろう」
時にはやさしく、時には励まされたりと、自分の純粋さに触れられる名曲だと思います。
毎巻の話なんだけどもよくもこんな個性的なキャラをどんどんと考え付くものです。 というわけで、4巻では表紙の新キャラが登場します。 単行本派なので、「誰これ?委員長と戦ってるんじゃなかったっけ?」的な感じでしたが。
今回の新キャラも微妙に時代からは取り残されてる気もしますが、連載当時はきっとホットだった設定が搭載されています。 ただ、どんなキャラが出てこようとこの漫画はきっと「カギューちゃんを愛でる」だめにあるんだと思います。 漫画の中でも大体そんな感じだしね!
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