『友情』で有名な日本の文豪・武者小路実篤の詩集です。実篤は職業的詩人ではないので、所謂詩の音律や構成に新しい工夫があるとか、技巧的上手さが際立っているというのではありませんが、読むものの心を叩くひたむきさ、誠意と感謝に満ちた素晴らしい詩集です。 前半は文学者としてなかなか芽が出ないまま年齢を重ねていく焦りや自信の喪失、しかし今にきっと自分もという気概との葛藤が歌われたり、詩人ダンテやホイットマン、画家ゴッホへの思いを表現した詩が歌われたりします。 後半は「新しい村」運動が軌道に乗り実篤も自信がついてきて、詩も明るく闊達な雰囲気になり、生きる歓喜や力強い使命感の表明、貧しさや不遇に苦しむ人たちへの愛情、また友人や家族、生への感謝が歌われます。 この詩集を読んで、実篤の小説『真理先生』の登場人物・真理先生や馬鹿一たちは、実篤自身の体験から生まれた彼の分身であったのだなとしみじみ分かりました。こういう自叙伝要素の濃厚な作風も、実篤が師と仰いだトルストイに似ていますね。
人生の最後を「感謝」で飾ることができた実篤は、足ることを知り、己の能う限りの力で己自身を生き抜いた素晴らしい賢人であり、苦しみと不幸の多いこの人間の世において死のその時まで愛を蒔き続けた、偉大な勝利者であったのだと思います。
「真理先生の遺書」「小さき寂しさ」が秀逸です。 最近の薄い「ポジティブ・シンキング」本が束になってもかなわない、 人の生き物としてのポジティブさがあります。 世知辛い世の中、何かに迷ったときに読むと、人を信じる気になれるような 気がします。 気恥ずかしくて心の中からも忘れられていた、「自己を高める」ことの大切さも感じさせられ、爽快な読後感でした。
『小さき者へ』‥
作家が全力で書いた作品は、たとえ短い掌編でも、
心を揺さぶられる感動を伴って迫ってきます。
わずか10分程度で読み切れる掌編ですが
読むたびにあふれる涙を抑えきれません。
不器用だが、力強く、ゆるぎない信念を持った父親の心情を
目の当たりにした時、子どもは親の深い愛情を知り、
胸を熱くするでしょう。そして、まっすぐに生きようとするでしょう。
最後の一行に、全力で子どもに伝えたかった言葉が凝縮されています。
『生まれ出づる悩み』‥
「私」(作者自身)の内面の苦しみが、本木君という青年漁夫の、
絵を描き、芸術を生みだそうとする苦しみに、
共感と希望や羨望を見出していきます。
次の成長へ踏み出す時の葛藤や悩みは、
時代を超えて普遍なんじゃないかな‥と。
大正時代に書かれたとは思えないほど
心にスッと入ってくる文章と
力強いエールで完結されるところに作家の力量が感じられます。
過去に読了。レビューのため再読。
やや不安を感じさせる題名どおり、主題は、恋愛と死別です。ストーリーは、留学前の青年と、少し年下の女学生が婚約に至るという状況から始まります。女学生の描写が生き生きとしていて、とても印象的でした。少し、じゃじゃ馬なのです。その自由奔放さに、主人公は、少しずつ惹かれていきます。その心理は、『デイジー・ミラー』(ヘンリー・ジェームス)の主人公の男性と良く似ています。そして、婚約を済ませた後、主人公は、留学へと旅立ちます。この後の女性のいじらしい想いは、うらやましくなる程です。そして、二人に襲いかかる予期せぬ不幸。単純なストーリーですが、日本の近代小説には類を見ない、女性を主題とした、美しい悲劇です。
いつでも悩みは同じ。 人間はいつでもおなじことを悩んでいるということがわかった。 でも、この結末はどうなんだろう‥?
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