「生きている、というだけで、すでになにがしかの運を使っているんだな。けっして、権利で当然生きているわけじゃないからね」(P134)
この本の中には「運」という言葉がよく出てくる。「運というのは、実力以外のすべての要素」で、「セオリー化されていない(我々にとっては明確になっていない)部分の総称」とのこと。
誰でもいい運に恵まれたいと思う。できれば人生の勝ち組に入りたいとも思っているはずだ。
しかし、この本を読んで目から鱗。「不運だ」「ついてない」と嘆いていた浅はかな自分が恥ずかしい。人生に対する認識を改めさせられた。読んで腑に落ちることばかり。素晴らしいの一言。
私は娯楽作家としての阿佐田哲也氏の大ファンなのだが、色川氏の作品は何となく敬遠していた。阿佐田氏ではなく色川氏に直木賞が行った事が不満だったのだ。しかし、もっと早く読めば良かった。
「怪しい」と言うよりは、自身の戦争体験記や不遇に終った勝負師・芸人や社会の片隅で生きる知人達の有様を纏めたものだが、全体として昭和初・中期の世相(特に大衆芸能)を記録して置きたいと言う意図もあったと思う。自身も若い頃勝負師として生きた色川氏には社会の裏側で生きているとの自覚が強く、その分、登場人物への同情と愁いの色が濃い。特に、「したいことはできなくて」は著者の人生を主人公のそれと重ね合わせて悲壮感が漂う。一方では、ユーモア溢れる語り口を用いる等、自在の筆運びである。何より読者の共感を呼ぶのは、人生に絶対の価値観を置いていない点で、これも人生、あれも人生と、良い意味での開き直りを見せている。著者は「自然児」と自称しているが。その分、人生の機微が見事に描き出されている。例えば、「とんがれ...」は起承転結が巧みで、短編小説のよう。"存在"に意味を持たせず、人生の定理と捉えている点も印象深い。互助の否定と寛大の勧めも胸に残る。
本作中で一番「怪しい」のは冥界を背負っているかのような著者自身なのだが、その著者が枯淡と描く様々な人々の姿は読む者の人生観を揺さぶるものがある。やはり、色川氏の書く物も面白いと認識させられた。
妻の死をきっかけに心が壊れてしまった青年が
「先生」に出会い、共に居ることで、その傷が和らいでいる事に気づく。
自分は他の人間とは違う。自分の中に確かにある狂気に対峙しても尚、
人間の尊厳である人との繋がり、優しさに固執し、生きた「先生」。
この本を一つの物語として捉えるならば
主人公が小説家を目指し、筆をとる部分まで書いて欲しかった気もします。
斎藤工、汐見ゆかりの二人の演技で、最後まで一気に魅せる。 原作者が同じの「麻雀放浪記」もいい映画ですが、これも雰囲気のある作品に仕上がっています。和田誠の絵がちらっと写ったのは、オマージュだろうか。 武藤昭平も味がありますが、少し固い。演奏シーンは、じっくり鑑賞できます。 監督のファンになりました。 本編は短いが、特典は充実してました。
個人差はあれど誰しも愛憎半ばするだろう親子や家族との関係を、著者独特の視点を踏まえて綴っている。 どこまでが創作なのかわかりにくいが、誰にも共感できる部分があると思う。
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