寺内貫太郎、理不尽すぎる……が、昔かたぎと言われる人柄が、このDVDで伝わった。
3月2日に急逝された久世光彦さんが演出された、終戦記念ドラマシリーズです。
久世さんが手がけられたこのドラマシリーズでは、戦争はあくまで背景として描かれていて、ここでも主役は「家族の日常」です。
戦時下でも変わらない心のふれあいと微妙なずれが、久世さん独特の美意識によって色彩豊かに描かれています。
このシリーズで一番印象に残っているのは、「蛍の宿」のラストシーンです。
戦争が終わった日の午後、まばゆいばかりに輝く海に向かって末娘役の田畑智子さんが砂浜を駆けて行くシーンは鮮烈でした。
「いつか見た青い空」のラストのナレーションも感動的でした。
・・・・・あの日の空は青かったと誰もが言います。何かが終わったのか、それともこれからはじまるのか、私にはよくわかりませんでした。私たちは四人で青い空を見ていました。いつまでも、いつまでも・・・・・。
ナレーターの黒柳徹子さんは読みながら声をつまらせ、涙を流されたそうです。
戦争を体験された世代としては、久世さんの世代が最後になるのでしょう。
戦時下の人々の暮らしを身近な日常として描くことは、後の世代の作家には出来ないことです。
そういう意味でも、この作品が素敵な装丁のDVDとして残されることを嬉しく思います。
あらためて、久世光彦さんのご冥福をお祈りします。
そして、ありがとうございました。
10人の監督がそれぞれの持ち味を生かして十夜を分担したオムニバス作品である。原作は漱石の『夢十夜』。原作の忠実な映像化というわけではなく、多くは原作のモチーフを自由に展開して独自の作品に仕上げている。
概して夢というのは見た後で何らかの解釈を与えたくなるものだが、この夢小説に対しても幾人かの映像作家は映像による解釈を試みてしまっている。盲目の子どもをおぶって歩いている第三夜 (清水崇監督) の場合は伝記的事実を参照することで原作者の深層心理を解剖しているし、運慶が仁王像を彫っているのを見学に行く第六夜 (松尾スズキ監督) や庄太郎が豚に舐められる第十夜 (山口雄大監督) にいたっては教訓を読み込むことで寓意物語に仕立て直している。原作は終始この種のこぎれいな解釈を際どいところで回避するような書き方をしているように私には思えるので、もし漱石がこれらのエピソードを見たら舌打ちするのではないかと思った。
ひと通りの解釈によって整理しきれない不合理なところが消化しきれずに残るからこそ、夢としてのリアリティが保たれる。作者がそこに注意を払って書いているからこそ、この小説を読んで、私たちの心のなかにある闇の部分というか内なる自然の部分に一瞬触れえたような感じがするのだろう。その点、原作を忠実になぞっているだけのようにも見えるが実際には巧みな映像の話法を駆使した第二夜(市川崑監督)が、原作の不穏な味わいをうまく再現しており好もしい。
久世光彦さんの訃報を伝えるニュースの中で、「向田ドラマシリーズ」のDVDが発売されていることを知りました。
久世さんの「向田ドラマ」には戦前の日本にあって、戦後の日本が喪ってしまったものが描かれていると思います。
それは、心の気高さ・細やかさ。そして、自分が今いる場所を大切にする気持ち・・・。
戦争の足音が近づいてくる中で、一日一日を大切に生きていたあの時代の空気に対する久世さんの愛惜の想いが伝わってくるようです。
まずBOXセットを一つということで、このセットを選びました。
まだあどけなさの残る田畑智子さん、「終わりのない童話」の小泉今日子さん、「あ・うん」の池脇千鶴さん、最終作「風立ちぬ」の宮沢りえさんなど、キャストが多彩です。そして大好きな舞台俳優の串田和美さんが2つの作品に出演されていることも私にとっては大きな魅力です。
久世さんの作品には人肌のあたたかさを感じます。
たくさんの作品を残していただき、ありがとうございました。
久世さんだから、このような作品を書けるのだろうが、私としては 久世さんの色気の通奏低音が流れた奔放な想像力、滑らかな平仮名と 優美な漢字を活かすのは、やはり「日記的文学」「エッセイ風小説」だと思う。 即ち、「乱歩」「日録」「黄昏かげろう座」などだ。 しかし、こういう日本語は、久世さんぐらいしか書いてくれない。 「へのへの夢二」や「女神」が好きな人は、それ以上に好きかもしれません。 人形屋の三人姉妹が色っぽいです。 私としては、また「乱歩」「日録」系が出ることを期待している。
|