切れ目なく演奏される1楽章形式の5楽章 < Grave ・ Molto ・ rallentando ・ Pesante ・ Adagio ・ Adagio >は、 真に純度が高く、現代的で、今日的。その意味で古典的。
シェーンベルクが書いた総譜の巻頭には、題名の由来となったリヒャルト・デーメルの詩が掲載されている。
「冬枯れの森を行く二人がいる 月がついてきて、二人は顔を見合わせる 月は、高い樫の木の上にあり 月夜をさえぎる雲一つない
女の足取りは重い 見上げると、月がついてくる 女の暗いまなざしは、月明かりに呑まれる
ほら、夜空がこんなに輝いている 何もかも包み込む輝きだ 冷たい海を僕と彷徨っているが 君の温もりを僕は感じ 君も僕の温もりを感じている
二人は澄みきった月明かりの夜を行く」
このアルバムはヘッドホンでじっくり聴くよりも、スピーカーから音を流した方がいい。 第5楽章に至り、音が、闇の中から溶け出してくる。言葉にできにくいものが、そこに現れる。 お互いのぬくもりを感じながら、澄みきった月明かりの中を歩くふたりが、見えてくる。
いわずと知れた一家に一枚の歴史的名画、 手持ちのビデオが古くなったのでリマスター盤でも買おうかと検索してもそんな商品が見当たらない、こんな名画がどうしたことかと検索を続けると版権でもめたことが原因らしいことがわかった、 アマゾン・コムで検索してもアメリカでも最近の正規盤が見当たらない、リマスター作業中と思いたいところだが、ドル箱作品それも最高の撮影が魅力の映画なんだからはやくファンが納得できる魅力ある商品を期待したい、 とりあえずこの廉価版でも魅力は十分わかるでしょう、
これは1953年の作品、 この年、アラン・ラッド40歳、ヴァン・ヘフリン43歳、そしてジーン・アーサーは53歳にして本作が最後の映画出演、 男の映画の印象が強い本作だが、男優達より一世代上のジーン・アーサーのたくましさのある美貌を強調した演出が本作の格調高さに大貢献しています、 シェーンに惹かれて始めている自分に気付いた直後、「ホールド・ミー」とヴァン・ヘフリンに抱きつくシーンは貞淑な女が自分のうちに眠る女の性(さが)に気付いた恐怖を沈める行為の最高の演出であり、本作がメロドラマとしても秀作であることを証明しています、
ジョーがライカー一家と対決に向かうと宣言した後、大人たちの緊張が少年ジョーイに伝染してしまい、ジョーイが「バーン・バーン・バーン」と銃を撃つ真似を止められなくなるのも見事な演出だとおもう、本作はジョーイだけでなくほかの子供たちの扱い、そして犬数匹の演技も素晴らしい、
シェーンが山の墓地に入って終わることには見る人それぞれの解釈があっていいとおもうが私はシェーンはジョーイがカンバックと叫ぶ頃には死んでいる説をとります、 そこで疑問なのがなぜラストシーンのような山中に墓地があるのかです、 劇中の葬儀シーンでわかるように普通は街はずれの高台に墓地を設営するのが街づくりの基本です(例えば「ポルターガイスト」の墓地も同じような場所です)、 クライマックスのガンファイトと別れは早朝です、 早朝からあの山中までさて夕方までかかるのか?と考えれば山中の墓地はすでにこの世ではないと考えてもいいのではないだろうか、
クライマックスのガンファイトでシェーンがジャック・パランスに向かって「ヤンキー」と罵ることからシェーンは南北戦争の元南軍兵士でありジャック・パランスは北軍だったことが暗示されています、二人の服装がグレイと濃紺というのも南北戦争の両軍の軍服を意識した選択であることも間違いないのです、そこで私はラストシーンで妄想してしまうわけだ、 山間の墓地とはゲティズバーグの激戦を象徴するセメタリーヒルを暗示しておりシェーンは南軍の仲間達が眠る場所へと旅立ったのだと、
本作がフロンティアが消滅したと合衆国政府が認めた1890年を舞台にガンマンの時代の終わりを描いていることは間違いありません、 加えて元南軍兵士であるシェーンが元北軍兵士に一応の勝利を収めることで南部連合の遺恨を清算すると共に自らの生を全うさせたようにも見えます、だからシェーンは死に場所を求めてワイオミングまで流れて(ドリフター)きたと解釈したほうが詩的に楽しめるとおもう、
山中の墓地は過去に鉱山町があった名残りを単に表現したのかもしれないが、この物語がジョンソン群戦争(1892)を下敷きにしたものであり、劇中せりふにもあるとおりホームステッド法が成立したからこその牧場主と農家(ホームステッダー)間のトラブル頻発であり、ホームステッド法が成立したそもそもの原因が直接に南北戦争に行き着くのも否定しようがないという事実を考えるとあながち妄想でもないように思う(ホームステッド法は反対派の南部諸州が連邦を離脱した1862年に成立した法律)、 いずれ原作を読んでどの程度の書き込みがしているのか確かめたい、
本作の5年後のアラン・ラッド主演作に"The Proud Rebel"という題名からして南軍兵士の戦後を暗示した作品があるようで、物語も本作の後日談、つまりオリヴィア・デ・ハビランド演じる母子家庭に流れ者が居つくというまるで「遥かなる山の呼び声」のような内容らしく、ぜひ正規盤の発売を期待します、
ストローブ=ユイレの作品が続々とDVD化されているわけですが、驚きとともに感激もしています。
紀伊國屋という会社はすごいなぁって。
それで、プリントですが、これもまた非常に良い。
この作品はモノクロですが、すごく滑らかな映像で文句のつけようがありません。
ストローブ=ユイレのシリーズは全て満足のいくクォリティのプリントなので、見るたびに感心します。
それに、付属するブックレット、これがまた素晴らしい。
詳細にデータをまとめあげていて、一冊の本ですよ、これは。
一読の価値があります。
やっぱり紀伊國屋はすごい…(私は別に紀伊國屋の社員ではありません)。
シェーンベルクの歌劇を映像化したものだそうで。
この歌劇自体が上演されることは非常に機会が少ないらしく、なおかつストローブ=ユイレの作品もこれまで映像化されていなかったわけで。
当然私はこのDVDで初体験でした。
見てみて驚きました。
強靭な映像で。
とんでもない緊張感で最初から最後まで一気に見せます。
プリントのせいもあるかもしれませんが、すばらしく美しいモノクロ映像。
歌劇を「見詰める」視線が息苦しくもあるくらいです。
まさに全てに狂いがない感じ。
ストローブ=ユイレは、基本的に(役者的に)素人を使い、徹底的にリハーサルをして撮影に臨むそうです。
そこで厳格な画面構成も決まってくるんでしょう。
(そういえば、ブレッソンも素人を使いました。ストローブ=ユイレはブレッソンと小津と溝口を敬愛していたそうです。フレーミングは小津の影響が感じられるでしょうか)。
当然、カメラの位置から光のあてかたまで、完全に把握して撮影しているに違いありません。
そうです、そうなんです、全てがきっちりと計算されていて、妥協を許さない空気が流れています。
見るほうにも何か覚悟を決めることを要求するような空気。
この緊張感あふれる心地よい映像世界、体験してみて欲しいと思います。
ただ、普通の映画をリラックスして見る様にはならないので注意が必要ですけど。
ユイレが06年になくなりました。
もう新作が見ることができないのですね。
残念です。
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