この本の先生の言葉が私の魂に届き、涙が溢れました。こんなにも感受性があり、やさしく、その奥に本当の強さを持っておられる下地先生が、この本の文面からわかります。そんな下地先生がとても大好きです。
本放送は中学2年生のとき。 自分が大人になりかけた時期で、子どもたちと先生の理想的な関係を描いたこの作品は、片時も忘れたことはありませんでした。 今回発売されたDVDは、大学時代よりも高校時代よりももっと遠い世界からやってきたタイムカプセルのような存在です。 最終回でみかん山に埋めたタイムカプセルは、ぜひ掘り起こしてください。
きめ細やかな文章表現が奏でる幾つもの人間ドラマの風景。生と死、自身が体験した神経衰弱の狭間での不安と葛藤の日々の生々しい記述。だがそれは威圧的ではない。作者が紡ぎ出す言葉は静かにしっとりと体内に浸透し、清々しい気分を与える。作者の不安と葛藤、読者の安堵感・心地良さという鮮烈なコントラストに包まれる。最新の3つの作品が所収された本書は作者の「生き様」を読者に向けてというよりは自らに語りかけている印象だ。読者はその声にそっと耳を傾け、すーっと読者の気持ちを軽快にしてくれる。
全編に貫き流れるのは夫婦の何気ない日常でのやり取りだが、それが意外と新鮮だ。どこにでもある夫婦の形なのだろう。しかしそれこそが大事なのであり、作者の妻の時折みせる軽快なツッコミもなかなか頼もしい。人間の心理と情景描写の色彩もまこと見事である。2つ目の作品にはこんな文章が登場して私ははっとした。「書くことによって近づきたかったのは、猥雑でうっとうしい現実を突き抜けたところにあって言語化を拒む普遍なるものだけだったのではないか」(78頁)。まこと意味深だ。
半分近い分量を占める表題作「先生のあさがお」も素晴らしい。結局のところ、作者にとって「先生」とはいかなる存在だったのだろうか。先生のあさがおの種を撒き育てることで、追憶のなかの先生に何を感じたのだろう。「じぶんの人生をどんな感じでとらえていたのかをこちらの基準でたずねてみたかったんだ。そこに生まれるはずの齟齬をきっかけにして、この身の立ち位置を知りたかっただけなんだ」(167頁)。身勝手な行為じゃない、心の重心が作者には必要だっただけだ。作者の妻がファンだというある有名な教授は、「人間とは他者のなかにじぶんを見いだそうとする動物だと思います」と述べている。「他者」は自然でも山でもいいらしい。なるほど。自然のなかで暮らす一組の夫婦の物語に心を洗われた心境である。
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