他の本では「秀吉の智謀」の一言で済まされてしまう羽柴軍の目覚ましい働きが、
どれほど辛苦に満ちたギリギリの作戦であったかが分かる。
巧妙な作戦にも地道な準備や忍耐力が要るのであって、
秀吉が決して魔法使いでないことが分かる。
秀吉とともに苦労し、耐え忍びながら実直に生き、功績は全て兄に譲った。
それが「この人」なのである。
特に筆者が経済人であることから、
文学系の作家に欠けている金銭的な視点が作中でよく生かされていると言える。
「この人」もまた裏方として金策に並々ならない苦労をした。
鳥取城の兵糧攻めで鳥取城近辺の兵糧を買い集めたときや、
高松城の水攻めでダムを作ったときなどは、えらくお金がかかったらしい。
それでも「この人」はよくそれをこなしたが、表立った評価はされなかった。
「この人」は常に地味で謹厳であった。
そのため、策謀をひけらかす黒田官兵衛が小賢しくて浅い男に見えたらしく、
この本では、官兵衛に対する「この人」の評価は、秀吉と違って冷淡になっている。
農本主義から重商主義への転換期という経済小説の要素が入った忠臣蔵です。そのため、仇討ち派の描写と並行して、仇討ちに参加せず、塩田開発に賭ける、石野七郎次(松平健)一派の描写もあります。
主役の大石内蔵助(緒方拳)は、狂言回しと言ってもよく、浪士の中では、不破数右衛門(小林薫)と片岡源五右衛門(郷ひろみ)の動きが大きな役割を果たし(また二人ともカッコイイ特に小林薫)、堀部安兵衛が完全に霞んでいます。
石野達は、塩田開発を続けるため武士である事を捨てざるを得なくなりますが、仇討ち成功後、不忠者として赤穂を追われます。大石と別れの際、大石から「多分、誰も間違っていない。」と立場や考えの違いを理解するセリフがあっただけにやりきれません。
バカ殿丸出しの徳川綱吉(竹脇無我)、天然ボケな町子(吉田日出子)、そんな二人の間で仕事をこなす柳沢吉保(岡本富士太)の描写や、ちょっとベタでくどかったけど、石野と竹島素良(多岐川裕美)、片岡と十文字屋おゆう(古手川祐子)、不破と竹屋美波(樋口可南子)ラブロマンスも彩りをそえてくれました。
難を言わせて貰うと、オープニング音楽は素晴らしいのに、画面は露光過多でクレジットが読み難い事です。
価格設定には意図があるのでしょうか・・・
とそれは横に置き、
最初こそ、耳に心地のよいタイトルである。
と感じたものの、
よく考えると、「体制維新」はあくまでも
行為・事象に過ぎず、
「その先に何を目指すのか(目指さざるを得ない
のか)」が、この本の本筋たるべきところでは
ないか、と改めて感じる。
「大阪に限らず、自治体に大なり小なりの改革
が必要だろう、(企業のように外的要因で
改革を迫られる、という機会に乏しいので
・・・)」
といったところは、この本を手に取られる読者
の少なからぬ方に共通した感覚ではないか、と
想定しているが、
その先に目指すもの(目指さざるを得ないもの)
は何か、がはっきりしないまま/何らかの合意形成
がなされないまま、
維新が行われたとしても、
そのあとに出来上がった新体制は、目指すところが
はっきりしないまま、旧態依然の負の要素を引きずる
(負の要素に引きずられる)ことになるだろう・・・。
この本にプロパガンダ的要素を込めているためか、
あえて/わざと、
目指すべきところ(政治において絶つべきところ/
新たに作り上げるべきところ と その理由・想定
効果)を十分に書き込んでいないのかもしれないが、
実はそれが、裏ではしっかり考え込まれている、
(いずれ開陳される?)ことをちょっぴり期待
しておきたい。。。
逆に言えば、そこが物足りないところで星3つ。
個人読書履歴。歴史小説通算41作品目の読書完。1990/09/09
初めて堺屋太一さんの本を読みました。さすがと思われる部分もありましたが、全体に雑で、少しがっかりしました。
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