小説に転向し、川端康成文学賞を受賞して以来、久しく、著者の詩を雑誌等で、見かけなくなった。
そんなとき、本書が刊行された。タイトルの『コルカタ』はインドの街の名称。旧称カルカッタである。
ベンツが走る公道に、牛や豚が同居し、様々な人種が蔓延る、混沌の土地である。
著者は、2週間、そのコルカタに滞在し、本来、言葉にならない稀有な体験をしてきたようである。
あとがきに依れば、その体験を核に、著者は毎朝一篇、本書に所収された詩を執筆したとのこと。
その為か、極めて即興的な趣きの強い詩集が生まれた。擬態語を多用した即興詩の妙なる響き!
土地の名を冠した詩集と言えば、飯島耕一の『バルセロナ』『宮古』、あるいは、詩集ではないが、
金子光晴の傑作紀行『マレー蘭印紀行』などの、先人の錚々たる作品が想起されるが、
本書も、紀行文としても読むことができる、著者の新境地を示す渾身の詩集である。
たとえば、こんな一節「もし わたしが 怒りを妊娠したら いつか みずみずしい 真っ赤な
スイカを産むだろう 股のあいだを血で染めながら」(「怒る女」より抜粋)。
もし、これらの詩篇を朗読するなら、フリー・ジャズとのコラボレーションが好ましいかもしれない。
「子どもは泣くのも仕事」、なんてことも言うけど、やっぱり子どもは笑っているのが一番いい。このドキュメンタリーに登場する子どもたちは、みな悲惨で壮絶な境遇にあったが、そんな中でも観る側にとって救いとなるのは、この子たちの笑顔、そして瞳の輝きだ。もちろんそれは、この子たちに写真を撮ることを教えたザナ・ブリスキさんがもたらしたものなのだが、やはりそれだけでなく、この子たちは―少なくとも友達といっしょにいる間は―最高に楽しくて幸せだったと思うし、たとえそういう強い意識はなかったとしても「自分たちは“チーム”として最高だ!」という思いは、きっと頭のどこかにあったことだろう。
思い出してみてほしい。あなたにもきっと、そんな子ども時代の一時期があったはずだ。オレの場合それは、小4の一年間にほぼ限定されるが、確かにたとえ豊かでなくとも、あの頃は本当に楽しかったし、毎日がキラキラしていた。「学校に行くのが楽しい」なんて、あの頃だけだったし。
そういった、懐かしくて甘ずっぱい想いがよみがえってきて、とても「遠い国の、自分には無関係なお話」とは思えず、オレはあの子たちに激しく感情移入しながらこのドキュメンタリーを観ていた。従って冷静な評価は困難であり、この作品にというよりも、ザナさんと子どもたち、そしてザナさんと共に腰を据えて撮り続けたロス・カウフマン監督に☆5つをさしあげたいと思う。
なお、この“特別版”は、紙の箱の中に“通常版”と同一のDVD、そして子どもたちの撮った写真20枚をフィーチャーしたポストカード・ブック(劇場などで販売されていたもの)が収められている。
映像特典は、本編の続きともいえる「3年後の再会映像」(約9分)、来日時の監督&成長したアヴィジットへのインタビュー(約30分)、日本版予告編(約2分)、ほか監督と子どもたちの紹介、子どもたちの作品ギャラリーなど。
取材というか、ドキュメンタリーの製作者(ザナ)が、映像中に子供たちと関わっているのに、全然主役じゃないところがすごい。
影が薄いというか、コーディネーターというか。。。想いもものすごくあるだろうに、ちゃんと退いて映っている。
伝えたい中身からすると、この方法はベストじゃないかなあと思って見た。
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