映画を勉強しているあたな!
ドイツと日本の敗戦を比較研究しているあなた!
子供の目から見た大人の世界はいかに自己中心的か、でもこれは映画です。
一気に見入ってしまう映画です。
プロフィット5というシンセにより、音程感が奇薄で、自然に存在するようで存在しない音色を作り出し、無国籍な世界観を作り出した傑作です。
更に各人とも技巧的に優れ(ディビットシルビアンの低音ボーカル/ミックカーンのうねうねフラットレスベース/スティーブジャンセンの人間ドラムマシーン)、これらを殆どリバーブが無いミキシングでクローズな空間とし、沈み込むような音世界を作り上げます。他にないです。
旧A面分だけ曲紹介しておきます。
1:いきなりドラムソロかと思う音数の多さで始まるアップテンポの曲で、始めの2小節で3種類のシンセ音を聞くことができ、その後もずっと音に隙間が開きません。必ずドラムかベースかシンセの音が入ります。
2:曲名をトーキングベ!ースに変えたいほどミックカーンが目立つ曲で、延々ベースが遊びます。ベースで和音も出します。
3:シンセと歌だけの曲で、本当にお化けが出そうです。
4:広東というだけに香港を思い出す曲で、ベースが遊んでいます。
全曲のクオリティが高く、全く飽きがきません。お勧めです。
正直なところ、ようやく第一部を読み終えた、というのが率直な思いである。
特に難しい単語が使われているわけではない。
でも、この小説は他の小説で同じ分量を読了した時より、数倍疲労感がある。
この小説は書かれた内容をそのままに捉えるのではなく、
当時の漠然とした不安な世相や、人間が根源的にもつ欲望や心理など
いままで数多くの小説家や芸術家が、その完全な描写化に挑戦したが
表面をなぞるだけか、あるいは全くの失敗に終わっていたものを
グラスはこの作品により、描写化への完成へ大きく近づいた
というようなことが一般的な評価だろう。
つまり、この小説ではそれぞれの表現に隠喩(メタファー)が存在し、
すなわちオモテとウラとで多面的な意味が盛り込まれているため
読者は隠喩を正確に読み解かなければ、
いくら読んでも作者の意図の数パーセントも理解できていないという、
まさに読者の読む力が試される恐ろしい作品なのである。
そう、この小説の正体はまさに、3歳児のこどもである。
表面上は、ニコニコしたイノセントな子どもに見える。
しかし、無用心に近づくと本当に痛い目にあう。
3歳の子どもなのに、大人と接する時以上に体力と精神力がいる。
やっかいだ。理解不能だ。子どもって何考えているのかわからない。
自分のペースを完全に壊されてしまう。疲れる。
でも楽しい。愛らしい。複雑な気分。
リマスターされる以前から愛聴しています。これまではずっと、狂気と錯乱の熱い塊を投げつけられるような(ジャズ・オルガン演奏のグルーブに似た、思わず腰が動き出す)快感に酔っていましたが、リマスターされたクリアな音質で今回改めて聴いてみて、このアルバムのサウンドが意外にシンプルな作りになっていること、そしてここでは、間(ま)を含めたある種の静謐さと、それに裏打ちされたアーティスティックな感覚とが重視されていることに気付きました。ときに歌うというより語るようなシルヴィアンのヴォーカルが、これにぴったりはまっています。つまり、「レイン・トゥリー・クロウ」の様な作品(これも私は大好きだけれど、ちょっと狂気が不足)を産み出してゆく素地が、すでにこのアルバムにあったということなのでしょう。 もちろん、リマスターによってインパクトがなくなった、という訳ではありません。(ある哲学者の表現を借りれば)「耳小骨を脱臼させる」リズムと旋律は不滅です。シルヴィアンのソロ作「ブリリアント・トゥリーズ」(こちらもリマスター盤でいっそう魅力がアップ)とともに、いつまでも繰り返し聴きたい名盤。 ちなみに、Yuka Fujii のヴォイスを聞くと映画「ブレード・ランナー」を連想してしまいます。私だけでしょうか。
なんでCCCDなんだろう?今の自分の再生環境では部屋も車もポータブルもダメなのに.... 今更Japanの曲をコピーする人がどれだけいるんだろうか?むしろ、聴きたいと思っている人はみんな買うんじゃないだろうか? ブックレットやボーナスディスクも付くとなったら、とても欲しいんだけど、肝心な曲が聴けないんじゃ買えないよ。 最近のリマスタリングされたものは、結構聞こえなかったニュアンスに気付いたりしてかなり楽しい。Tin Drumでもそれを体験したかった。 コピー問題が深刻なのは分かるけど、何かもっとスマートな方法でやって欲しい。
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