3つの中編小説の1つが「サッカー小説」=「ファンタジスタ」。他2編のうち1つは芥川賞候補作である。
どの作品にも幻想的と呼ぶにはやや泥臭い、というかややチープな、それでいて独特の雰囲気はしっかりもった〈ホシノワールド〉が存在している。
「ファンタジスタ」は近未来というよりはむしろパラレルワールドに同時並行的に存在する〈もう一つのニッポン〉の数年後の姿のよう。
「大統領」に立候補したサッカー界の大物。階層化が進み隊列が長くなる社会。
「国際化」に埋没していく大多数の中下層〈ニホンジン〉。フットボールと呼ばれるようになった〈ニホンのサッカー〉。主人公の恋人?が愛用する異様な「抱き枕」。
キーワードとして使われているボールリフティング。
リアリティーがあるようなないような。幻想的であるようなないような。
そこに〈サッカーの真実〉はあったか?〈人生の真実〉はあったか?
〈閉塞感〉だけはあった。
「現代社会を覆う閉塞感」などとこの作品世界の〈閉塞感〉を対置させるのはあまりに陳腐に過ぎよう。〈閉塞感〉はそのものとして受け入れよう。
そのうえで、その〈閉塞感〉を突き抜けた向こうにある〈ナニモノか〉の存在を本書のなかに感得できたか?僕は感じることができなかった。存在の暗示すらも。
閉塞され、その向こう側に待つ〈ナニモノか〉を感じ取れない世界。それもまた〈サッカーの真実〉なのか。
デビュー作の『最後の吐息』、野間文芸新人賞受賞の『ファンタジスタ』、
三島由紀夫賞受賞の『目覚めよと人魚は歌う』を筆頭に、『アルカロイド・
ラヴァーズ』、『虹とクロエの物語』などの長篇、短篇集『われら猫の子』
などが特に星野作品では色の濃い作品群です。
特に『最後の吐息』、『アルカロイド・ラヴァーズ』は大傑作です。
そんな中で最新作『植物診断室』ですが、この作品は星野さんの一連の作品群
から考えると、レベルはあまり高くありません。
しかしながら、ところどころに星野さんらしい「色」が光っていて、この中篇
は星野作品群では水準作だろうと思います。
この作品に興味を持った方は、まず冒頭に挙げた作品群の中から読んだほうがいい
かもしれません。星野さんの入門書にはこの『植物診断室』は向いていないと思い
ます。
p24 「体液が干からび目の部分が黒ずんでウジが蠢いているそれらを避けて、 竹志は右に左に体をかわした。強い日差しに照りつけられ、逝体どもは 揺らめいてみえた。折り重なった逝体の、下敷きになったほうが液化して、 油膜をギラギラと輝かせながら歩道いっぱいに広がっている箇所では、 仕方なくその粘液溜まりに足を踏み入れた。強い刺激臭がマスク越しに 鼻をつく。竹串でも突っ込まれたかのような痛みが鼻腔の奥を走り、 涙が出る。」
多くの人が逝ってしまうお話です。 逝ったあとには醜い「逝体」となってそこらへんにころがっています。 「逝体」の描写はとても気持ちが悪いです。
p78 「死んでも死ななくても、苦しい生を生きなくちゃならないことに変わりはないから。」
「苦しい生」を生きている人々は、傍からみれば醜い「逝体」なのでしょうか? 生きているから腐敗したりしていないだけで、「苦しい生」を生きている現代の日本人は 傍から見れば、「腐乱した逝体」(p21)のようなものなのでしょう。
気がつくと自分も「腐乱した逝体」のような顔をしている時があります。
星野さんの作品はどれも好きだが、これは今自分の年齢に近いからか余計にはまった。オトナになることを、非言語で拒否してきたジェネレーションだからこそ分かる物語だ。これまではそれでよかった。でもあるとき気が付く。年齢的には40歳なのに、ほんとにアタシって40歳なのこれで、みたいな。サラッと読めるのに、何度読んでも印象が新たになる奥の深いストーリー。
わたしはだいたい「消失」を扱ったものに弱いのです。小川洋子さんの「密やかな結晶」にしても三崎亜紀さんの「失われた町」にしても、ものや人が「消える」のである。そして、そのことに関する記憶や記録も一切書き換えられていて、失ったことにすら気づかなくなる切なさにぐっとくるのです。
このトロンプルイユ〜に関してはすごく現実的なところで実は「消失」や「書き換え」が行われていることに戦慄さえ覚える。我々の実世界で起こっているとしてもなんら証明しようが無いからだ。そしてその怖さを余すところなく伝えている作者の筆力に感心するばかりである。
比喩を一切使わない硬質な文体、地震による不安な感じ、だんだんと変容を遂げる「現実」、すべて計算され尽くしたような無駄のない描写、すばらしいです。
さらに、ミントの缶の色合いの鮮やかさ、立体化する天の川の描写、どれをとってもわたしの好みにストライクでした。
さらに読み返してみると、サトミにとっての「誰か」は久坂さんのようであり、久坂さんの「誰か」は遠野さんのようなのです。実は久坂さんと遠野さんは裏表の関係で、これこそトロンプルイユ(だまし絵)ではないかと深読みさせてくれるのです。
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