~ ウィンダム・ヒルがレーベルの内外のアーティストに声をかけて完成させたルネッサンス・アルバム。作者不詳の曲やモンテヴェルディ、ギボンズなどの作曲家の曲、古くから知られた曲等を、アーティストのアレンジによる演奏で楽しめます。レーベル・アーティストとしてはジョージ・ウィンストン、マイケル・ヘッジス、リズ・ストーリー、トレイシー・シルヴ~~ァーマン、リサ・リン、ティム・ストーリーなど。注目したいのはハートのアン&ナンシー姉妹の参加でしょう。ここではハートというよりも、サイドプロジェクトとして活動中のラヴモンガーズよりの解釈で演奏しています。 ジョン・ドーンにはナイトノイズから脱退したビリー・オスケイが参加してナイトノイズ的な(というよりも、このアルバム全体がケルト~~的な音作り)雰囲気をかもし出しています。 ウィンダム・ヒルとしてはかなり異質な一枚。かつてリリースされていたテレーズ・シュローダー・シェカーの『女王の吟遊詩人』を思わせます。~
いつも元気をもらっていたドラマなので
これでいつでも好きな時に見られるようになりました。
従来の型通りのテレビ小説ではないことで評価も割れるところなのかも
しれませんが、私にとって「つばさ」はとても大切なドラマに
なりました。
五郎に関して言えば、昭和49(1974)年の「甘い生活」あたりから昭和52(1977)年の「風の駅」あたりまでの、筒美京平と佐藤寛(五郎の兄)が交互に作曲を担当していた頃の作品はどれも結構好きである。いわゆる“田舎から都会に出てきた若者男女のニューミュージックな同棲時代のヒトコマ”というのが五郎の世界で、それはつまり「木綿のハンカチーフ」で都会に出て行った男の方を主人公にした世界である。ニューミュージックのマーケットを狙っているのだが、曲が筒美京平なもので(ちなみに佐藤寛作曲の時も筒美京平がアレンジを担当)ソフィスティケートされて、すっかり都会的な歌謡曲になってしまっていた。 五郎のシングルは山上路夫が多くの作詞を手がけているが「むさし野詩人」は松本隆。「15行目から恋をして20行目で終わったよ」というフレーズが印象的で、当時中学生だった僕は、「いずれこの歌のような恋をするのだろうか?」とまだ見ぬ世界に思いを馳せたものだった(嘘)。まあ中学生の僕らとしてはビブラートの効きすぎた五郎の歌唱法のモノマネに興じるのが関の山だった。 新御三家で言えば、運動部系の秀樹、文化部系の五郎、帰宅部系(街でオンナの子と遊ぶ)のひろみといった捉え方をしていたように思う。ぱっとしない中学生の僕は、秀樹とひろみの中間でなんとなくパッとしない五郎にシンパシーを感じていた気がするのだ。
この原作は単行本にして十六巻という大作であるが、映画では一時間半の作品三本に収めなければならなかったことで、ストーリーはかなり省略されたり、変更されたりしている。 二十数年前に映画館やテレビで見た時には、この点に不満を感じた。 今回DVDとして発売されると知ったとき、非常な興奮を覚えたものの、もしかしてその気持ちが蘇るのではないかと、若干の不安もあった。 しかし、いざ見てみると別の印象を受けた。 前述のような時間的制限のもと、いろいろな場面、台詞を再配置や削除しながら、冗長性のない作品に仕上がっているのだ。むしろ、この三部作を四部作やそれ以上にしたところで、失敗したのではないか、という思いさえ出てきた。私自身の作品への理解度も、映画を見た当時に比べて上がったからかもしれないが。 いずれにせよ、映画化の為に大胆なストーリーの編集を行った製作側の英断に拍手を送りたい。
バリに5000坪の敷地を友人と購入し、別荘を建てた著者。 建築と絵画への造詣の深さを披露し、家に対するこだわり、 そこでの過ごし方、お気に入りのバリ在住アーティスト、 お薦めレストランなどが紹介されている。 私もバリを旅行し魅了された一人だが、いかんせん読後の 印象は「よ、弱い…。バリにも建築にも絵画にも興味が あるのはうかがえるけれど、当たり障りのない表現を 薄く広げている感は否めず、これではバリの良さも伝わら ないな。結局は、西城秀樹のイメージ強化なのかな…。」 である。 しかしその面で言えば、プライベート別荘が写真と共に、 詳細に内部が紹介されている訳だから、秀樹ファンには 堪らないだろうと思う。 写真と文章の比率は7:3くらい。 残念ながら、観光ガイドにはあまり向かず、これからバリに 別荘を建てたい人へのハウツーにもなり得ず、建築本としても 物足りない。…といったところだろうか。 しかし、室内から望む椰子の木と芝の広い庭は、 なんとも羨ましい限り。一見の価値あり。
|