この言葉に深く感銘を受けました。
どの著書よりも易しい表現で、
優しく語りかけ、
そして伝わってきます。
是非、手にとって感じて欲しいと思います。
理解するのではなく、体感できる何かが?
確かにあります。
本書は日記風に記されていて、系統立てて記述されているわけではないので
すが、私の心に残った部分を、 原文をもとに、短縮してご紹介させていただきます。
本当の自分とは何か…
今の瞬間に意識を置き、自分の中に常に存在する
真我に気づくことです…
この瞬間をあるがままに観察することで、独立した自分という
ものはないのだという真理に気づきます。
そこには何か広大無辺なもの、無とも呼ぶべきものが存在し、さらに観察をつづけると、
どんなに一生懸命探しても、この真我とは別の自分というものが見つけられない
ことに気づきます。…あなたの中には神のもとへ
帰りたがっている真我の部分が存在します。56ページあたり
本当の自分とは誰なのかを知るために…
「別個の独立した自分というものが実際に存在するのだろうか?」
という疑問を意識的に抱きつづけることが肝腎です。56ページあたり
真我はあまりにすぐ近くにあって、いつもそこにあり、あまりに広大無辺なので、
あなたは気づけない、人はつい見過ごしてしまっているのです。
人はこれまでいつも自分の中にあったものを見つけようと、
自分以外のところを探し回っています。当たり前すぎて気がつかないのです。58ページあたり
以下は、心理学的な洞察の一つ…
誰かの言葉に対して怒りなどで
激しく反応するとします。ここで気づくべきことは、
「あなたはこの一瞬の出来事だけに反応しているのではなく、過去に起きた似たような出来事のうち、
あなたの体がこれまで処理しきれなかったものの総量に対して反応している」
それが理解できると、その出来事をもっと客観的に見れるようになり、
やがてそれが相手からの攻撃ではなく、
すべて自分の中の問題だと気づくようになる。107ページあたり
突拍子のないことが書いてあるわけではなく、
エックハルト・トール、ジェームズ・レヴァイン、ラム・ダス、ラメッシ・バルセカールや
ラマナ・マハルシの言葉を思い出させる馴染みのある文章が散りばめられています。
怖れや不安が多少なり軽減し、心がより広く(大きな存在とのつながりに
気づかされ)安らかにさせられるために、
もし何か心にピンとこられたら、本書を手にとって、繰り返し
ゆっくりとご覧くださることをおすすめさせていただきます。
サイコーHIPHOP おしゃれですよ
楽園のような旅先で、この本を読みました。
鳥の声、花の色、水の音・・静寂の中で聞こえたり見えたり感じたりしたこと。
そのすべてが、美しく、愛と光に満ちて見えました。
わたしは一体、今までなにを見ていたのだろう?
自分の心の小さな檻にはまり込んで、この美しい世界に気がつかなかったと。
日本に帰ってきて、満開の桜を見て、ここもまた楽園だったと、気づかされました。
意識がふわ〜っと広がりました。
外側に求めなくても、常に、いまここに、天国は存在する。
ただそのことに、感謝すればいい。
愛は求めるものでなく、ただそこにある、と、見つければいいだけ。
ただただ、ありがとうと、内から愛と感謝があふれ出しました。
そして、それでいいんだ・・と感じました。
グレタ・ガルボ作品をはじめてみました!美しいし、演技もなかなかだなー、と思いました。
このアンナ・カレーニナの原作を読んだのですが、私が原作から想像したアンナはガルボのような姿ではありませんでした。が、長編をよくまとめてあると思います。
原作を読まないと私も分からなかったと思うのですが、アンナの夫は自己保身ばかり考えていますけれども、男性は体裁やプライドがとても大切な弱い生き物です。まして、地位があって社交界や仕事など年中いろんな人と顔を合わせる環境なら、奥さんがほかの男と恋に落ちたら、顔から火が出そう!でしょう。
それでも、度量のある男なら、じっと泰然と構えて、妻がまた戻ってくるのを待つわけですが、カレーニン氏は気が小さくてとてもそんなことは出来なかったんだと思います。
アンナは息子をそんなに愛しているなら、簡単に男に走るべきではなかったと思います。
ヴロンスキーは、アンナに息子を捨てさせるのは酷だ、ということに気を回せない、浅はかな男だと思います。
ところで、このように私は登場人物がみんな人間的に浅はかだと思うのですが、その人たちは上流階級で、そんな人たちのくだらない遊びに、使用人たちは仕えているのです・・・軍人達の酔っ払い行進にずっと付き合って酒を注いでいる給仕たち、や、お風呂で葉っぱで洗ってあげてる風呂男たち。仕事とはいえ、こういう仕事は・・・私ならいつかやめたい、と思います。階級社会って、そういうところがひどい!と感じました。
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