40年以上前の作品ですので、表現が古い部分はありますが読み応えは十分、
テーマそのものは今の時代にも十分通用する内容です。
警察機構そのものに変化がないということなのでしょうね。
今野敏さんの安積班シリーズがお好きな方は、楽しめること間違いなし。
復刊されず長らく埋れていた人のことですが、非常にもったいない話です。
出会えたことに感謝。
1962年作品、現在も一部に熱心なファンをもつ吉田作品がようやく単体発売、
本作は岡田吉田版「浮雲」としての企画と思う、もちろん本家「浮雲」には遥かに及ばない、原因は単純です、映画作家でありながら映画以外のものを語りたくてしょうがない吉田喜重らしい袋小路に迷い込んだ仕上がりだからです、加えて岡田の相手役を演じる長門裕之がこの当時はまだ線が細く役不足だった(逆に森雅之の凄さを思い知らされる)、
ところが映画を構成する一部分一部分には映画ファンを喜ばせる仕掛けが一杯で見所は多い、ワン・カット、ワン・カットの素晴らしい構図を圧倒的に美しい色彩で撮影、流麗に動くカメラ、林光の音楽、とこう書くと分かりやすいが林光のプロモーション・ビデオのようにも見えます、
岡田茉莉子は何を着ても様になる邦画史上最高の美女だと評者は敬愛しているのだが、本作では彼女が衣装も担当、戦中のつつっぽから戦後の高級な友禅まで彼女の素晴らしい着こなしを眺めるだけでも評者のようなファンにはおつりのくる映画、
本作で幾度と無く岡田が小走りするシーンが繰り返される点を特筆すべきと考える、雪中、草履を脱いで足袋のまま和服で走る岡田の美しさを記録したことだけでも本作が作られた価値はある、ところが走ることがもたらす感情の高ぶりがなぜか映画自体の高まりには貢献しない結果となっていることが吉田の映画作家としての限界だったろうと考える、頭が良すぎて道を間違えたたわけです、
東映育ちの深作欣二(1930〜2003)が『黒蜥蜴』につづいて松竹で監督した犯罪映画。 男女4人のチンピラたちが、カツアゲ稼業で社会の底辺から這い上がり、やくざの上前をはねて、さらに政財界のフィクサーに挑んでいく。世間への不満と憎悪。そんな反権力的な題材も、深作の作風にぴったりだった。 なんといってもこのエネルギッシュで個性的な演出。暴力と性の描写はいささか控えめだが、深作欣二そのものだ。 鋭い切れ味とスピード感。手持ちキャメラをブンブン振り回す。熱い。ストップモーションとスローモーションとフラッシュバックの過剰。そして、主人公のモノローグ。 主演の松方弘樹の元キャバレーのボーイも好演だったが、城アキラ(のちのジョー山中)、ピラニア軍団の室田日出男も、いい顔をしている。口笛を吹く佐藤友美もクールで印象的だった。当然ながら、みんな若い。 松方の愛人役で園江梨子が出演しているのがめずらしい。じつは、歌手の平山みきの実姉でもある。
ラストシーンは、有楽町の日劇前で信号が青から赤に変わるあいだに隠し撮りしたそうな。昭和43年の高度成長期の東京の空気をよく伝えている。
DVD特典として、予告篇のほかに、松竹スタッフOBと佐藤忠男の鼎談が収録されている。これも興味津々だった。こういう付加価値のある商品は高く評価したい。
山田洋次は渥美清と組む前はクレージー・キャッツのリーダー=ハナ肇と組んで喜劇を作っていた。もちろん山田は東大卒とはいえ無名のひら監督。ハナは工学院大学と学歴こそ劣るが山田など足元にも及ばないスーパー・スター。ハナが山田を使っていたのである。逆ではない。ハナは柄が悪いが親分肌の面倒見のよい男で「山田というのは優秀な監督です」とふれあるいたという。渥美と組んで一発当ててから山田が「偉くなり」挨拶にもこないのでハナは面白くなかったそうだ。はっきりいって「男はつらいよ」より「馬鹿まるだし」のほうが遥かに面白い。ハナと渥美のキャラクターの違いで。さて?フランス期待のイケメンで大金持ち(宝石商。カルティエ創業にも関与)の御曹司=F1レーサー。フランソア・セベール(ユダヤ系フランス人だが美男子で筋肉マン)はBBの恋人。実家からバケツ一杯のダイアを惜しげもなくプレゼントは嘘。宝石箱一杯か。しかし1973年10月ワトキンスグレン(NY近郊)のアメリカGPで惨死(体が真っ二つに裂けた)チーム・メイトで師匠のJ・スティュワート(スコツトランド。この年チャンプ)は衝撃を受け引退。二度とサーキットには出なかった。しかし恋人のバルドー自伝で「フランソワは馬鹿まるだし。もううんざりした」あちやー。死ねば恋人であれ奥さんであれなに言われるか。私死んだら則子さん「和田君、馬鹿まるだし。用心棒とパシリだけの人でした。私の腕に触ったりして嫌だわ」かな?
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