日本で最も“コシのある”ハモンドを聴かせてくれるキーボード・プレイヤー、ミッキー吉野の幻のソロ作と、ゴダイゴの前身であるミッキー吉野グループの音源をセットにした2枚組。 まずソロ作は、ミッキーがナント18歳の時にジャズ界ロック界からのアーティストをバックに録音された音源である。わずか18歳の少年がこれらの楽曲を書き上げアレンジして演奏している事自体に驚愕させられる。音的にはロックというよりはジャズ的要素が上回っているように思うが、1970年という60年代の混沌とした時期が過ぎた宙ぶらりんで澱んだ空気漂う当時の雰囲気を見事に音に表しているように思う。退廃的な空気をものの見事に表現しているのが凄い。当時の日本の音楽界は未熟なエレキ・バンドが台頭した60年代が終わり、フラワー・トラベリン・バンドなどのアートロック・バンドが出始まる前の時期であり、その未熟な音楽業界の中でジャズ的なアプローチの音源を残していた18歳のミッキーは、これは天才以外の何者でもないだろう。音楽的論理に裏打ちされて構築された各楽曲の完成度はかなり高い。 もう1枚は「プレ・ゴダイゴ」とも言うべきミッキー吉野グループの音源。1975年の音源である。これはミッキーの実験室的な色合いが濃く、音楽的方向性を模索していた時期のように思う。シンセを駆使したスペイシーな世界がある一方で、プログレ的なアプローチありグラムロック的なコーラスあり…と、やってみたい事をやってみた記録のような雰囲気だ。後のゴダイゴのメンバーとなるタケカワユキヒデやスティーブ・フォックス、浅野孝巳らも参加しているが、にゴダイゴで披露した世界とは全く別な世界。正直、この音楽観のままゴダイゴで世に出ていたら、あのような活躍は見込めなかったものと思われる。音楽的レベルは高いものの、とても世間ウケするような楽曲ではない。 しかし若くしてこれらの音世界を構築していたミッキー吉野に対し、当時の音楽関係者は畏怖の眼差しを向けていたに違いない。とにかく信じられないくらい早熟な天才少年だった事を改めて証明した1枚だ。
NHKのテレビ文学館で日下武史がO・ヘンリーの短編群を朗読していたことがあった。その時のテーマソングが一曲目である。これを何度も聴く(笑)これまでに誰よりも聴いたはずだ(莫) リーフレットには「日常生活の中で忘れかけていたことをO.HENRYの作品による表現とNHKの映像によって考えさせられて作った」という吉野本人の言葉がある。 聴いた瞬間に判る、哀愁漂う申し分のない旋律。ピアノの鍵盤を叩く一回一回が尊重されている。
前にも書いたが日下武史の朗読は絶品で、おそらく数ある名作を紹介していたテレビ文学館の中でもこのO・ヘンリーのものは最も好評だったはずだ。いつか番組自体を本楽曲共々DVDで復活させて欲しい。
この商品は以前購入したことが、あるのです。でも一枚がどこかにかくれんぼしてしまい、出てきてくれません。ずっと気になっておりましたが、再度購入するのも馬鹿馬鹿しく悩んで数年がたったある日にこの広告を見つけて安いこともあり購入に踏み切りました。思い切って買って本当に良かったです。通して観て新発見もありました。平尾さんが故人になってしまったこともありますが、貴重なものとなりました。長く現役を続けてこられた彼らの生き様が現在進行形で活写されており、ライブ映画という一面だけでなく、人となりも興味深く見ることが出来ます。この時代に音楽に興味を抱いた全ての人に見て戴きたいドキュメントです。カップスに留まらず周辺の人達にも温かい眼が向けられている所がこの作品の特徴と言えるでしょう。当時洋楽が入って来るのが一年遅れなんか、当たり前の状況で、彼らを通して米英の音楽事情を知る意味はとてつもなく大きかったのです。老若男女に観て貰いたいです。そこには金儲けも癒しも勝ち組も負け組も人の為なんて卑しさもありません。ただ音楽ロックに対する愛情 だけが溢れています。本当の愛やセックスや思い遣りが生身として写っています。是非ご覧ください。
このドラマが放送されていた当時、父は酒びたりで夜は遅く、母は知り合いのふぐ料理屋で夜のパートの仕事をしていました。
母が作り置きしていった冷たい夕食を食べ終わるとこのドラマが始まります。
2コ上の兄と二人で静かにテレビに向かっていました。
涙が出ます。
この音楽はテレビがとても優しかった時代、テレビがとても高尚だった時代の貧しい僕たちへの素敵な贈り物でした。
見ていた人にはきっと脳裏にあの名場面が蘇ると思います。ほんの少しでも幸せを感じることの出来るサウンドトラックです。
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