リストのCDを買うにあたって最初に購入したのがこのCDで、
後に色々聴き比べましたが、選択は間違っていませんでした。
テンポ取りはやや遅めかとも思いますが、一音一音に濁りがなく、
丁寧に演奏されている印象です。輝くような音色が素晴らしく、
何度聴いても涙が出ます。
事前情報が一切無いままに、賭けの一種とも言うべき、いわゆる「ジャケ買い」というもので購入してみたのだが、今回の賭けは大正解だった。
取りわけ、主人公とヒロインである主人公の姉が互いの存在によってキャラが立っていること。美咲や京など脇を固めるキャラたちも違和感なく物語の素材として活かされているという、漫画作品の原則を無難にこなしていることである。
主人公・鬼灯吾朗が姉に寄せる至誠に満ちた溺愛ぶりと、ヒロインであり、吾朗の姉(無血縁)・鬼灯ハルの、弟に対する愛情ゆえの嗜虐的好意との懸隔が非常に予定調和と成している。吾朗に女性の影を感じた時のハルの微妙な動揺描写だけでも相当に完成度の高い作品である。
しかし、この作品を見て思ったことは、やはり近年のヒロイン像というのが、いわゆる「肉食系」という力強い女性像が多いと言うことなのだ。時代の流れなのかと思った次第。
歌手が主人公になり切って、喜び、嘆き、叫ぶ。という歌い方は今は流行らないと思います。日本語の詩の朗読や芝居の台詞を想像してみると分かりますが、感情を込め過ぎた演技は、現実離れして大時代的に響きます。
歌曲は詩と旋律が既に感情を伝えていますから、そこに歌手の過剰な技巧まで加わっては滑稽に聴こえてしまいます。日本の聴衆の多くは、ドイツ語の意味が分かっても語感までは伝わりませんから、感情を込めた歌い方を好むのかもしれません。最近の歌手の歌唱を聴くと、例えば Thomas Quasthoff のWinterreise などはもっと乾いた歌い方をしています。
私はこの歌い方でも十分に感情が込められていると感じます。これが現代の Winterreise ではないでしょうか。Brendel のピアノもこのぐらい主張して丁度良いと思います。
金田一少年の事件簿の「じっちゃん」金田一探偵の作者 としか知りませんでしたが この本で初めて横溝作品を体験しました。 「鬼火」が強烈すぎます。 解説で栗本薫さんもおっしゃってますが「訴えかえてくるイメージの強烈さ」が半端じゃないです。 引きずり込まれてしまい立ち読みで読破してしまいました。 もちろんその後購入(笑)もっと早く読みたかった!というじれったい思いとやったーたっぷりある未読の横溝作品読めるぞといううれしさで いっぱいです。
荘村清志は私にギターを持たせた人です。
正確には私が高校生の頃、荘村清志のLP「GuitarRecital」(廃盤)を聴き
その中に収録されていたリュート組曲1番(BWV996)に触発されました。
当時、若気の至りで当該LPを売ってしまいましたが
歳を重ねるごとにあの演奏がもう一度聴きたく、
オークションサイトを探すなどしておりましたが
なかなか再会できないでいたところ、このアルバムを知りました。
ライナーノーツを見て驚きました。
音源は私が学生自体に聴いた「Guitar Recital」のそれだったのです。
打ち込みのような...の評もありますが、BACHはかくあるべきではないでしょうか。
同じ曲の、エルナンデス版やセゴビア版、ブリーム版も持っていますが
やはり「リュート組曲1番」ならこれです。
聞き比べて、弾き比べて、BACHを知れば知るほど
理想型と思える演奏に聞こえてきます。
打ち込みのような...と評した方は
リュート組曲1番はリュート楽曲ではなく
リューテンヴェルケ(の読みで良いのかな?)であることを知って
評しているのでしょうか?
この楽曲は本来、弦楽器用ではなく鍵盤楽器用です。
だからこそ、この演奏になるのです。
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